8-6 時の境界線 

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 彼が市ヶ谷を去った時に「限りある時間」は終わっている  「限りある時間」のその先は、今度こそ、求めてはならぬもの――  美紗は胸元をぎゅっと押さえた。ブラウスの布地越しに、固いものが指に触れた。  ピンクとオレンジの二色に輝く石。あの人のくれた誕生石の色が、青い海の中で抗う。  あの人は今も()()にいる  だからまだ、終わりじゃない    低い振動音が数回、かすかに聞こえた。  青と紺の合間のような色がかき消え、アルコールを静かに楽しむ客たちの気配と、切なくも穏やかな旋律の音楽が、再び辺りに満ちる。  数秒の間をおいて、美紗は、先ほどの低い音がメッセージの着信を伝えるバイブレーターの動作音だったことに気付いた。膝の上に載せていたバッグの中から携帯端末を取り出して見ると、日垣貴仁からのメッセージが入っていた。    ひと月ぶりに顔を見せた長身の客を、マスターは申し訳なさそうに出迎えた。 「あいにく、ただいま『いつものお席』がふさがっておりまして……」 「取りあえずカウンターでいいよ」  日垣は、付き合いの長いバーテンダーに「いつものを」と言うと、カウンター席に座る美紗の傍に歩み寄った。 「かえって迷惑じゃなかったかな。こんな時間になってしまって」  久しぶりに聞く、耳に心地よい低い声。美紗は、頬がわずかに紅潮するのを感じながら、頭を横に振った。話したいことがたくさんあるのに、言葉が出てこない。 「今日は、珍しい色のお酒を飲んでいるんだね」  美紗の前に置いてある背の高いコリンズグラスは、ピンクとオレンジが交じり合ったような淡い色をしていた。わずかに見える小さな泡が、グラスの中で震えるように光っている。 「マスターが、『今日は甘いもののほうが』って、これを……」 「何ていうカクテル?」 「即興で作ったオリジナルなんですよ」  かすかに照れくさげな表情を浮かべたマスターは、年の離れた二人連れに愛おしそうな眼差しを向けた。 「深く澄んだ青も美しいですが、こういう温かみのある色合いも、鈴置さんにはお似合いかと思いまして」 「何だか、幸せそうな色だね。でも、見かけによらず強いのかな」
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