8-6 時の境界線 

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  「ソーダで割っておりますので、ビール並みというところでしょうか」 「ビール?」  日垣はクスリと笑うと、美紗を覗き込むように見た。 「いつもマティーニの君が『ビール並み』を勧められるとは、ちょっと心配だね。少しお疲れ気味?」 「いえ、あの……」  すでにそのマティーニを飲んだ後だとは、何となく言いづらい。美紗は、ちらりとマスターのほうをうかがい見ると、縮こまるように下を向いた。  ベテランのバーテンダーは、ひとり面白そうに目を細めると、「お待たせいたしました」とだけ言って、美しいカットが施された水割りのグラスを日垣の前に置いた。  日垣は、美紗に向かってわずかにグラスを掲げる仕草をすると、琥珀色の液体をゆっくりと飲んだ。柔らかな灯りの下で、腕が触れそうなほど近くにある大柄な身体が静かに息をついた。 「日垣さん、お食事は……」 「仕事の合間に済ませてきた。君は?」 「私も事務所で」 「そうか。週末なのに、そっちも相変わらず忙しいな」  美紗は「はい」と小さく応え、日垣から目をそらした。実のところ、主だった仕事は七時前には終えてしまい、その後は自席で軽食をとりながら全く緊急性のない雑用を片付けていただけだった。  夜遅くまで待ってからこの隠れ家に来れば彼に会えるかもしれないと思ったから……。 「西野は問題児になってないか? あいつはいるだけでうるさいから、『直轄ジマ』の面々には早々に嫌がられているんじゃないかと気になるよ」 「最近はみんな慣れたみたいです。西野1佐もよく『シマ』にいらっしゃるんですけど、いつも小坂3佐と冗談を言い合ったりして、にぎやかにやってます」 「ああ、小坂はいかにも西野と気が合いそうだな。彼は防大(ぼうだい)(防衛大学校)時代のあいつとそっくりだから」  日垣は、陽気でやや落ち着きに欠ける3等海佐の姿を思い出したのか、グラスを手にしたまま声を立てて笑った。 「武内はどうしてる?」 「今は通常通りの勤務に戻っています。お家のほうもだいたい落ち着いたらしくて」 「それは良かった」  直轄チームに転入直後こそろくに出勤できない状態だった武内は、四月半ばに入る頃には仕事を休むこともほとんどなくなり、立場にふさわしい担当を与えられ、一人黙々と自身の業務に専念するようになった。  美紗がそんな話をすると、日垣は「彼らしいね」と言って再び水割りを口にした。
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