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あーん……あーん?
その言葉の意味が理解出来なかった。
ただ、ひらひらと惑わす様に揺れるクッキーを見つめる。
だが俺は無意識に口を開いていたらしい。
視界からクッキーが消えたと同時に口の中にほろりとした甘さが広がった。
さくり、と噛めば舌の上に微かな硬さと香ばしさが落ちる。
「どう? ユーリ」
お嬢の瞳が不安に揺れる。
その不安を払拭するには俺が一言『美味しいです』と告げれば済む話なのだが……その為には口の中のモノを飲み込まねばならない。
お嬢の手で『あーん』してくれたクッキーを。
飲み込みたくない。このまま、ずっと味わっていたい。
だが、それではお嬢に『美味しい』と伝えられない。
何と言うジレンマだ。
だが、そのジレンマもお嬢の表情が曇った瞬間に終わりを告げる。
名残惜しいが俺は口の中のクッキーをごくりと飲み込み、満面の笑みを浮かべる。
「とても美味しいですよ、お嬢」
途端に曇っていた表情が秋の空の如く晴れやかになる。
「本当? 本当の本当に美味しい?」
「えぇ。俺が今まで食べたクッキーの中でダントツに美味しいです」
「よかったぁ……!」
安堵の溜息をつき、頬を上気させたお嬢の破壊力。
木っ端微塵に粉砕されそうになる理性を急いで掻き集め、アロン○ルファで修復する。
ついでにセメントでガチガチに固めておく。
「すみません。食べてしまうのが惜しくて感想を言い出せませんでした」
「クッキーはまだあるし、ユーリさえ良ければまた焼くわ。だから、はい。あーん」
どうやら俺のハッピーターンはまだ続く様だ。
さくり、さくさく。
だが、ターンエンドは唐突に訪れた。
甘い時間のタイムアップを告げるのは盛大なクラクションの音。
「渋滞が少し緩和した様ですね」
シートに座り直して前を向いた俺が見たのは。
「……何だ?」
「ユーリ?」
空中に浮かぶ、輪。
うねる様に蠢く輪は少しずつ、その直径を広げ……いや、広がっているのではない。近付いている。
よく見ると、それは二匹の蛇……いや、龍?
お互いの尾を飲み込む形で輪になっている。
「ウロボロス……」
ウロボロスの輪の中は白と黒が渦巻いている。
悪寒が背筋を走った。
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