プロローグ

8/9
前へ
/125ページ
次へ
 あーん……あーん?  その言葉の意味が理解出来なかった。  ただ、ひらひらと惑わす様に揺れるクッキーを見つめる。  だが俺は無意識に口を開いていたらしい。  視界からクッキーが消えたと同時に口の中にほろりとした甘さが広がった。  さくり、と噛めば舌の上に微かな硬さと香ばしさが落ちる。 「どう? ユーリ」  お嬢の瞳が不安に揺れる。  その不安を払拭するには俺が一言『美味しいです』と告げれば済む話なのだが……その為には口の中のモノを飲み込まねばならない。  お嬢の手で『あーん』してくれたクッキーを。  飲み込みたくない。このまま、ずっと味わっていたい。  だが、それではお嬢に『美味しい』と伝えられない。  何と言うジレンマだ。  だが、そのジレンマもお嬢の表情が曇った瞬間に終わりを告げる。  名残惜しいが俺は口の中のクッキーをごくりと飲み込み、満面の笑みを浮かべる。 「とても美味しいですよ、お嬢」  途端に曇っていた表情が秋の空の如く晴れやかになる。 「本当? 本当の本当に美味しい?」 「えぇ。俺が今まで食べたクッキーの中でダントツに美味しいです」 「よかったぁ……!」  安堵の溜息をつき、頬を上気させたお嬢の破壊力。  木っ端微塵に粉砕されそうになる理性を急いで掻き集め、アロン○ルファで修復する。  ついでにセメントでガチガチに固めておく。 「すみません。食べてしまうのが惜しくて感想を言い出せませんでした」 「クッキーはまだあるし、ユーリさえ良ければまた焼くわ。だから、はい。あーん」  どうやら俺のハッピーターンはまだ続く様だ。  さくり、さくさく。  だが、ターンエンドは唐突に訪れた。  甘い時間のタイムアップを告げるのは盛大なクラクションの音。 「渋滞が少し緩和した様ですね」  シートに座り直して前を向いた俺が見たのは。 「……何だ?」 「ユーリ?」  空中に浮かぶ、輪。  うねる様に蠢く輪は少しずつ、その直径を広げ……いや、広がっているのではない。近付いている。  よく見ると、それは二匹の蛇……いや、龍?  お互いの尾を飲み込む形で輪になっている。 「ウロボロス……」  ウロボロスの輪の中は白と黒が渦巻いている。  悪寒が背筋を走った。
/125ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加