当たり前の階段

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 上り始めて、まだそう経っていないのに、もう鼻呼吸では苦しくなってきた。  各階の踊り場にある、ひし形窓のすぐ上、“5”という階数表示を見ながら俺は、胸一杯に吸った息を大きく吐き出した。溜め息は、どこまでも続く屋内階段を立ち昇り、すぐに消えた。  窓の向こう側に広がる黒々とした世界から、そこで水撒きでもしているのかというほど、大量の雨が降り注いでいる。  小学2年の頃にこのマンションに住み始め、9年になるが、一度も階段なんて使ったことがない。 使ったことがないどころか、使っている人すら見たことがない。40階建ての高層マンションに、階段なんて必要なんだろうか。  蒸し蒸しと暑い空気と、既に上ったであろう見知らぬ住人の残り香にまみれながら、俺は、前を行く妹の朱美(あけみ)と、少し遅れ始めている母さんの中間地点で、重たい足を動かし続けた。  母さんの持っている買い物袋が揺れ、朱美の通学リュックについているイニシャルホルダー“A”の金属音が一定のリズムで聞こえてくる。それ以外は、3人の疲れた足音だけ。   「......なんで、今日なんだ......」 息を漏らすように、小さくそう呟いた。
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