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第5章 与えられた仕事
廊下に出て、扉を四つ分進んだ部屋の前でサエトの足は止まった。こうしてその後ろ姿を見上げると、繊細な印象とは裏腹に、彼はとても背が高いのが分かった。
ドアノブに手をかけて少し扉を開けると、彼はこちらを振り向いた。そしてかすかに微笑みを浮かべると、
「・・・じゃあ、ぼくはこれで。今日は誰かしらがあの部屋にいるはずだから、何かあれば、おいでね」
と言った。
「・・・・ありがとう。」
自分の声帯が揺れた事にはっとする。思えば、この場所にやって来てから声を発したのは初めてのことだった。
見ると、サエトのその綺麗な薄茶色の瞳が一瞬、揺らいだように見えた。煌めく水面を見ているかのようなその美しい光に、わたしは目を離すことが出来ない。
彼はすっと、その長い手をわたしの方に伸ばした。そしてそっと、まるで今にも壊れてしまいそうな何かに触れるかのように優しく、わたしの頬に触れた。
彼の柔らかい手は冷んやりと心地良く、わたしの中で張り詰めていた何かが少しだけ、小さく音を立てて消えたような気がした。
「・・・声が聞けて良かった」
彼の声は静かに言った。
「ゆっくり、休むんだよ。
君は、知らないことがたくさんある。でも、僕が、僕たちが、少しずつ伝えていくから安心して」
頬からすっと手を離すと、彼は部屋の扉を大きく開けた。そしてわたしの背をその中へと促すように押す。
「さあ、中へ。
・・・・僕はここまで。またね」
わたしは促されるまま部屋の中に入った。
そして、その姿を確認しようと振り向くと、そこにはもう既に彼の姿は無かった。
ただそこには、薄暗い廊下に無機質な扉が並ぶばかりだ。
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