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部屋の中を見渡すと、そこには生活するのに最低限必要な家具や、その他諸々は備えられているように見えた。
入って右手には、わたしがひとり寝るのには困らない程度の大きさのベットが置かれている。そしてその横には、小じんまりとしたタンスがあった。わたしは近付き、ゆっくりとその引き出しを開ける。
中には、ナナが着ていたような白いシャツに黒色のベスト、そして同じく黒色のスラックスが何組か納められていた。他の引き出しを開けてみると、靴下や無字のインナー、小さな手鏡等も入っている。これらはおそらく、わたしが使用しても良い物だということだろう。
ひと通りタンスの中を見終えると、わたしはふーっと息を吐き、その前に置かれている小さな2人がけの椅子に腰を下ろした。
この数時間のうちに、目まぐるしく多くの出来事が起こった。
何も無い部屋に降り立ってから、サエトが迎えに来て、タイチ、ナナに出会った。
そして彼らは、ここは、死んだ後の世界だと言う。この屋敷に仕え、それがいつ終わるのか、どのように終わりを迎えるのか、知る由もないのだと。
わたしの脳裏に、ふとあの時に見た薄暗い海が浮かんだ。わたしが、恐らくその人生の最後に見た景色。
荒れ狂う海。まるでこの世の終わりみたいに蠢いていた、暗い闇。
わたしは本当に、終わりにその景色が見たかったのだろうか。まるで記憶の中のその海に飲み込まれるかのように、頭の中に暗闇が立ち込め始めた、まさにその時だった。
「もしもし?
あの・・そっか!名前、まだ分からないものね。少し、入ってもいいかしら?」
晴天の様に溌剌としたナナの声が、扉をノックする音と共に響いた。
扉を開けると、ナナの涼しげな瞳がこちらを見ていた。わたしが小さく頷くのを見ると、お邪魔します、と、部屋に入ってきた。
「ここ、座っても構わない?」
椅子を指差す。
「もちろん」
「良かった。一緒に座りましょ」
ナナは座りながら、自分の隣を指差した。わたしが素直にその隣に腰を下ろすのを見ると、ナナは満足げな表情を浮かべた。
近くで見ると、ナナは笑うと片方だけ笑くぼが出来るのが分かった。それが彼女のクールな目元の印象とは裏腹に、その表情に優しげな印象を与えていた。
「あなたと、少し話したくて」
間近で見ると、彼女の瞳は左右で少しだけ色が違っていた。右目は黄色味を帯びた茶色で、左目は青と茶色の織り混ざった不思議な色をしていた。つい、その神秘的な瞳に見惚れていると、それに気付いたのかナナはふふっと笑い声を上げた。
「変な色でしょ?」
自分の瞳を指差しながら言ったその表情がほんの一瞬曇ったような気がしたが、しかし、その口元には変わらず笑みが浮かんでいた。
「そんな・・・。
すごく、綺麗だと思ったの」
わたしは言った。誤解されたくなかった。まるで淡く光を宿す宝石みたいなその瞳を、そんな風に揶揄して欲しくなかった。
わたしの言葉を聞き、ナナは心なしか安堵したように表情を緩めた。その時はじめてわたしは、彼女がその身体を強張らせていたのだと知った。
「あなたにそう言ってもらえて、うれしいわ。・・・ありがとう」
言いながら、そっとその指で瞳を示した。
「この目の色はね、生まれつきなの。でも、人とは少し違うでしょう?小さい時から、よくからかわれたわ。
・・・ううん、からかう、っていう表現では、足りないような目にあった事もあった」
そう話す彼女はどこか苦しげで、その瞳には、その記憶の中の光景が浮かんでいるようにもわたしには見えた。心配そうに覗き込むわたしに気付いたのか、ナナはまるで何事も無かったかのように表情を変えた。そこにいるのは、さっき部屋をノックして入ってきた時の、溌剌とした笑顔の彼女だ。
「・・・あなたに気に入ってもらえたみたいで良かったわ。わたし、この目を気味悪がらない人とは仲良くなれるみたいなの。
タイチとか、サエトとか、・・・あなたとかね!」
そう言い、わたしに悪戯っぽく笑って見せた。わたしも、それにつられるように微笑み返す。まあ、かわいい!ナナは声を上げた。
「わたしね、あなたが来てくれて本当に嬉しいの。ほら、あなたが来るまで、男ばかりだったじゃない?やっぱり、同性の友達って特別だわ!」
嬉しそうに話すナナの様子に、わたしの心がほぐれるのが分かった。と同時に、新たな疑問も浮かぶ。つまりはこの屋敷には、主人を除いてサエト、タイチ、ナナ、わたしの4人しかいないということだろうか。
「そうね、もしかしたら、わたしたち以外にも使用人はいるのかもしれないけれど・・・。今のところ、まだ誰にも出会えていないわ」
わたしの思考を読んだのか、ナナは続けた。
「この屋敷は、とにかく広いの。あなたがここに来るまでに見たように、いくつもの部屋が連なり、それがどこまでも続いているわ。わたしたちにも、まだこの屋敷の全ては分からないの。・・・もちろん、外に出たこともないわ」
ナナはじっと、部屋の扉を見つめた。
わたしの脳裏に、ここに来るまでにみた、無数の扉の並ぶ薄暗い廊下が浮かんだ。その果てがどこにあるのか、ここに住む皆が知る由もないのだという。
「ナナさんは・・・みんなは、誰に、何をして仕えているの?」
ここでの生活の、全てが謎に包まれていた。そしておそらく、ナナはその謎をひとつひとつ解き明かすために、あるいはそれを解くヒントを与えるために、わたしに会いに来てくれたのだと今更気付いた。
その時だった。
「おーい、ナナ!ここにいるかー?」
ノックの音と共に、タイチの張りのある太い声が響いた。
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