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すっかり忘れていた、こいつの存在を。こいつが妖怪なのか?樹が引きつった顔で見ている中、水沢はそれの白い毛並みを優しく撫でた。それは気持ちいいのかうっとりと目を瞑る。
「そんなに恐がらなくても襲ったりはしませんよ。これは『浮綿(うきわた)』と言う妖怪で、宙を漂い羽虫に似た妖怪を捕食しています」
「そう…なんですか」
そう答えたまま次の句が継げない。自分は夢でも見ているのだろうか。樹は太腿をつねってみた。痛い。どうやら夢ではないようだ。
「さてさっそくですが、入社書類を渡しますね」
水沢は樹の様子など意に反さずどんどん話を進めていく。
「ここに氏名、住所、連絡先を書いてもらって、ここは給与の振込先の金融機関名を書いて下さい。車で通勤でしたら自宅から事務所までの往復距離と、ここに簡単でいいので地図をかいて下さい」
「え、あ、あの」
妖怪の話から現実感ある話に変わり、樹の頭もやっと動き出した。
「あの、僕まだ入社するとは言ってないんですけど…」
「でもさっき握手してくれましたよね?」
どうやら先ほどの握手がここに入社をするという意思表示と受け止められたらしい。
「いえ、さっきのは反射で手を出してしまったというか…。その、せっかくのお話なんですがどうも僕が思っていた仕事と違っていて、辞退させて頂きたいのですが…」
しどろもどろになりながらも樹はこの話はなかったことにしてほしいと水沢に伝えた。水沢は口を挟まず聞いていたが、ふと樹に質問を投げかけた。
「原田君は就職サイトの弊社のページを見て応募をしてくれたんですよね?」
「はい」
「あのページを見てどんな仕事だと思ったんですか?」
「外国語を翻訳する仕事かと思っていました。妖語というのが妖怪の言語ではなく米国とか英国とかみたいに『妖』って漢字を名前に当てはめる国の言葉を翻訳するのかと…」
「そういうことだったんですね。それで実際に仕事の概要を聞いてどうでした?」
「いや、その、妖しい会社だなと」
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