一日目 挨拶回り

1/29
565人が本棚に入れています
本棚に追加
/1028ページ

一日目 挨拶回り

「ああ、来たか」  事務所の玄関で出迎えた水沢を見て、樹はぽかんと口を開けた。 「何を突っ立っている、早く入れ」  水沢に言われぎこちなく足を動かす。 ―――あれ、昨日と雰囲気がだいぶ違うぞ  昨日は物腰の柔らかい紳士的な印象を抱いたが、今日は紳士どころかどこぞの組の若頭のような、剣呑な雰囲気が漂っている。顔が整っている分、背筋がぞくっとするような凄みがあった。昨日はきっちりとワイシャツの第一ボタンまで締め、まっさらな生地には皺ひとつついていなかった。しかし今日はだらしなくボタンを二つ目まであけ、無造作に袖をまくりあげている。 「そこに座れ」 「は、はい」  言われて樹は昨日と同じソファに腰掛けた。今度は沈みこまないように、前の方に軽く腰を下ろす程度にした。 「まずは昨日渡した契約書を出してくれ」 「はい」  樹は急いで鞄から一枚の紙を取り出す。契約書にはインターンシップ中の労働時間や賃金など労働条件について書かれてあった。さらっと目を通し必要事項を記入したが、樹には一つ気になることがあった。 「あの、一つ質問いいですか?」 「なんだ」  早くしろと、水沢が目で急かしてくる。樹は焦りながら気になった一文を指でなぞった。 「ここに『妖怪により怪我をしたり大病を患ったりしても当社の関与するところではない』と書かれているんですが、どういうことですか・…」 「そのままの意味だ。業務中に妖怪に攻撃されたり呪いをかけられたりしても自己責任だ」  そう言って水沢はにやりと笑った。それから樹が手に持っていた契約書をひったくる。契約書に樹の名前が書かれ捺印されていることを確認すると、脇に置き樹に顔を向けた。 「お前、疑問があるのに契約書に名前を書くとか馬鹿か」 「え…」  会って二日目にして馬鹿呼ばわりされ樹はその場で固まった。 「疑問あるならまずはそれを解決させろ。何も考えず言われた通りやっているといずれ痛い目見ることになる。今回みたいにな。もうこの契約書に自分で名前を書いたんだから、これで契約成立だからな。今後は自分の身を守れるよう頭を働かせろ」 「はい…」
/1028ページ

最初のコメントを投稿しよう!