死に抱かれて

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 もしかすると「夢」を見ている時に得た、要するに知らずにもしくは単に新たに得た知識によりあの記憶の光景が二週間も「眠る」程のストレスを感じるものになったのかもしれない。各々について考察してみる。  単に新たに得た知識。それは出産の時、受けた手術が母に深い苦痛を残したことだろうか。暫く思案して、違うだろうと思う。私の中で既に決着がついて久しい事柄だからだ。  知らぬうちに「夢」等で得た知識、ならその原因となった知識を思い出すことはもうできないだろう。「夢」の記憶は私の意識と断絶しており、記憶を意識という糸を引っ張って取り戻すことができないからだ。「夢」から覚めた直後なら浮かんでいる記憶を拾うのは簡単だ。だが沈んでしまっては諦めるしかない。考えを多少、深めた私だったがここら辺が限界だった。時間的にもこれ以上は遅刻の危険が伴う。私は朝から使われてしまった頭を休め、学校へ行く準備を始めた。  これらが「夢」の例外だ。当然、途中からは1つ目と2つ目の例外の理由は分かっていた。1つ目は単にストレスを感じていなかったからだ、苦手な課題を「夢」の私にやってもらおうとしたのだ、ストレスを感じる訳がない。2つ目は、テスト以外で「夢」を見たのが初めてというだけで今となっては然して驚くことではない。3つ目は夢で「眠り」に就いたという点で例外だが、「夢」を見た理由が不明とはいえストレスの強さと夢の長さの原則には当てはまっていそうだ。
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