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「体は平気?」
別人のように穏やかな顔をして、首元まできっちり着込んだ男が詩の顔を覗き込む。さっとその視線を避けた詩は、マスクの下でこれ見よがしに空咳をした。
「まぁ、わりと。……声は、ガサガサですけど」
「ごめんね。いい反応してくれるから、楽しくなっちゃって」
あははと笑う男の声が、薄い白に色付く。
詩はマスクの上に重ねるようにマフラーを指先で引き上げ、数センチ高い男の顔を見上げた。
「それじゃあ。えと、ありがとうございました」
「こちらこそ。あ、とりあえずこれ渡しておいてもいいかな」
コートのポケットから、男が名刺を取り出す。仕込んでいたとしか思えない手際の良さに、じとりと目を眇めた詩を、男は曖昧な笑顔でいなした。
「これでお別れは勿体ないからね。一応、受け取って貰えると嬉しいな」
「……一回きりって、約束でしたよね?」
「いいじゃない、別に。毎回相手探しからするのも疲れるし、お互いに都合のいい相手ってことで」
確かに一理あると、詩の顔に迷いが出る。
男はそれを見逃さず、愛想のいい笑顔で詩に名刺を押し付けた。
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