缶コーヒーと名刺【*】

7/15
前へ
/148ページ
次へ
「……さっむ」  詩はガラガラの声で呟き、手のひらに熱を奪われて冷え切った缶コーヒーを握りしめた。  今朝の男の連絡先は、早く捨ててしまおう。人間、何度も肌を重ねていれば、嫌でも情が湧く。そうなってはいつか、あの男のことを特別だと思う日が来てしまうかもしれない。  詩はもう、傷を増やしたくはなかった。  痛い思いをするのは、一度だけでいい。 「詩くーんっ」  ぼんやりと感傷に浸っていた詩は、不意に響いた高い声に顔を上げた。遠く、手を振りながら駆けてくる姿に日常を感じて、知らず詩はホッと息を吐く。  五年も前のことと言えど、傷は未だ根深く。  思い返すだけで疼く傷に改めて蓋をした詩は、古い木のベンチからゆっくりと腰を上げた。  ワインレッドのスカートが、木々の緑が揺れる背景によく映える。長髪を頭の上で一つに結い上げた村崎(むらさき) (はな)は、詩の目の前で足を止め、ふっと得意げに口角を上げた。
/148ページ

最初のコメントを投稿しよう!

204人が本棚に入れています
本棚に追加