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あなたに安眠を
「おやすみなさい」
香織は目を閉じて微動だにしない夫へ背中越しに声を掛けた。
いつの間にか顔を合わせる時間と二人の会話は減っていた。
結婚して10年も経つとこんなものだろうか。
「もし子どもができていたら…」
そう考えたことを、打ち消すように頭を振って自分の寝室へ向かった。
そんなことを今更考えたって仕方ない。
子どもは欲しくないと言われた時、香織はまだ24歳で仕事も楽しかったし周りの友達は子どもどころか皆まだ結婚もしていなかった。
あまり深く考えずに了承してしまったのだ。
そして…
昨晩の夫とのやり取りを思い出した。
「申し訳ないんだが別れてくれないか?」
何の前触れもなく、そう切り出された。
申し訳ないなんてこの10年夫の口から聞いたこともない。
昨日まで、いや今朝まで普通に笑いあっていたじゃない…そう思ったのだが、あまりの驚きに声にはなっていなかった。
会話こそ減っていたが、それなりに仲良くやっていたし、これからもそれがずっと続くものだと信じて疑わなかったのだから。
「子どもが…できたんだ」
あなたに?なわけはない。と言うことは…
「浮気?…してたの?」
「してたわけじゃないんだ。何度か食事には行っていたけど、そういう関係になったのは一度だけで」
その一回が見事にと言うべきなのか命中したということなのか。
「そんな…そんなたまたまの偶然みたいなことだけで私と別れるの?」
「すまない」
そう言ったきり彼は黙ったまま頭を下げ続けた。
「この10年は何だったのよ」
「本当にすまない。子どもが欲しくなったんだ。妊娠したと言われたとき困ったと思ったんだが、それ以上に嬉しかった。ずっといらないと思ってきたのに。」
「いくつ?」
「え?」
俯いたままだった彼が間抜けな顔をあげた。
「相手」
「あ、あぁ。28歳だ」
私より7つも年下
「私も、その歳に妊娠していたら今頃小学生くらいの子どもがいたのね」
「すまない」
彼は、もう一度そう言うと私が立ち上がるまで頭を下げ続けていた。
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