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しかし、そんな母の呼びかけも虚しく、男は来るべき一日への静かな抵抗だと言わんばかりに眠り続けている。やがて、男のことを心配した父親と妹も彼の部屋の前へと集まってきた。
父親は怪訝そうな声で「どうした、あいつに限って寝坊だなんて、そんなことはないだろう」と母親に問いかける。母親は「だけど、呼んでも返事すらしないのよ。もしかしてどこか調子が悪いんじゃないかしら」と、心配そうに答える。妹のほうは、控えめな、そして不安げな声で、「お兄ちゃん、大丈夫? 」と扉の向こうに尋ねる。だが、妹の声にも、なんら反応はなかった。
妹は、これは大変なことではないかと感じ始めた。兄は、どれだけ疲れていたり、不機嫌であったりしても、自分を蔑ろにすることはなかったのだ。いつかギタリストとしてメジャーデビューするために、音楽の専門学校へ通いたいという自分の願いを真剣に受け止め、その学費を工面するために毎日働いてくれている兄。その彼の身に、何かただならぬことが起こっているのではないだろうか。
いつか読んだ短編小説みたく、ベッドの上で醜い毒虫となり果てた兄が、もがいているのではなかろうか。そんな光景がふと頭に浮かび、いてもたってもいられなくなった彼女は、ドアにすがりつき、力強く、何度もノックをしながら、大声で兄を呼んだ。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! しっかりして! ねえ、起きてるんでしょう? もしお兄ちゃんが、醜い姿に変身してたとしても、あたしたちはお兄ちゃんを否定したりしないよ! だからベッドから出てきて、お願い! 」
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