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「――――·······あ」
未可子は、包みから取り出した本を見て、突然固まった。
かすれた声がこぼれる。
「·······嘘」
それから、驚愕をその顔に浮かべたまま、どういうこと、と僕の方を見てくる。
僕は静かに微笑んでこう言った。
「いつも僕が好きな本ばかりだったから。たまには、未可子が好きな恋愛のジャンルで、僕が素敵だなと思った本を選んでみたんだ。·····ひょっとして、もう読んだことあった?」
「·················」
彼女は、僕の目を見て、ゆっくりと瞬きする。
永遠とも思えるような、間。
それから、おもむろにその堅表紙の本に、目を落として言った。
「うん。ある。あるよ―――でも、この形で読むのは初めて」
言って、彼女はその本の表紙を、ほっそりとした指先で、愛でるかのようにそっと撫でた。
「·····森崎幸一郎。すごく嬉しい····だけど、知らなかった。圭さんも、この作者が好きだったの?」
その声が妙に遠く感じたのは、たぶん気のせいではなかった。
「いや。僕は、この人の本は、これしか読んだことない」
言うと、未可子は幸せそうな笑みを浮かべながら、その本を見つめていた。
「―――ふふっ、いつも宇宙の本ばっかりだったのに、今回はえらく賭けにでたのね」
「·····新刊で積んであって、思わず買ってしまった。読んでみたら、びっくりするくらい、すごく優しくて綺麗な物語だった。だから、未可子にも読んでみてほしいと思ったんだ」
未可子の反応は悪くない。
もしかして、僕は成功したのだろうか。
きちんと、渡すべき本を、選んでこられたのだろうか。
すると、一呼吸おいて、未可子がこちらを向く。そして。
「·······そう。この本、すごく嬉しい」
「·············」
僕は思わず息を呑む。
なぜだろう。
未可子の目が、潤んでいる。
そして次の瞬間、彼女が唐突に口にした言葉に、気づかない訳にはいかなかった。
「私、大好きなのよ。このひと―――大好きなの」
まるで、死刑宣告のようだった。
突然、微笑む未可子の、その美しい瞳から、抑えようもない涙が、ぼたぼたと零れおち始めて。
僕は、ただどうすることもできずに、それを見つめている。
「ねえ。またこの人の本。買ってきてね。来年も、再来年も、そのまた次の年も―――」
―――違う。
僕が必死な思いで選んできた本。
それはどうやら彼女にとって、あまりにも特別な何かを孕んでいた、ということに気付いた時すでに、もう何もかも手遅れだった。
そして、唐突に思い出す。
(········あ)
ずいぶん前に未可子が職場から持って帰ってきた、お中元のお裾分け。
そこに書いてあった宛名。
「森崎幸一郎」
また別の時。
何か大きな文芸賞を誰かがとったというニュースが放映されていて。
それを眺めながら、彼女が少し自慢げな顔をしていた時は無かったか。
あれは純粋に好きな作家が世間に認められたことを誇っているものだとばかり思っていたけれど。
―――その作家と彼女が、ずっと親密な関係だったのだとしたら。
だとしたら納得がいく。
本を買うとき、僕は作者のプロフィール欄を確認した。
彼はまだ若かった。
そして、既婚者だった。
(······何てことだ)
こんなに綺麗で賢くて、引く手あまたであろう彼女が、街コンなんかに来ていた理由。
何もかも遠藤の言う通りなのかもしれなかった。
彼女は7年前のあの日、最初から関係を隠すためだけの相手を探しに、あの居酒屋へ来ていたのではないか。
突然、全てのピースがつながっていく。
僕のなかに、最悪のシナリオが浮かび上がっていく。
「···圭さん。ありがとう。ありがとう――――本当に」
未可子が泣いている。
心底嬉しそうに破顔して。
僕は、ただ、呆然としている。
最悪だ。
僕はたぶん、悩みに悩んで、一番選んではいけない本を選んできてしまった。
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