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 急に立ち上がった僕をみて、未可子は驚いたような声をあげた。 「····圭さん?」 「未可子」 「―――どうしたの?急に、怖い顔して」 「ごめん、未可子。僕は、もう気づかないふりができない」  僕の言葉に、今度は未可子がショックを受けたような表情になる。  彼女は、頬を伝っていた涙を慌ててその手で拭って、ピントのずれたことを尋ねてきた。 「何なの?ごめん。読んだことあるって言ったのが、嫌だった?」 「―――そいつと、ずっと連絡、とってたの?」  自分の喉からでた驚くほどか細い声。  未可子は状況が飲み込めない様子で、困ったように首を傾げる。 「どうしたの?圭さん。酔っ払った?」 「違うよ。未可子。―――もうずっと前から、僕に何か隠してるだろ?」  声が、震える。  遠藤先輩は僕に言った。  どうするんだ、と。  僕はずっと、耐えられると思っていた。  彼女が例え僕のことを見ていなくても、その心に誰か別の男が住んでいるとしても。  だって、彼女は少なくとも、僕を結婚相手に選んでくれた。  だから、せめて夫として、彼女を大切に守って慈しんで、彼女の帰る場所を準備さえしていれば、ずっとそばにいられるはずだと。  そんなの、無理だった。  あんな顔、僕の前ではしたことない。  ましてや、嬉し泣き。  “大好きなの“という震える声。  はっきりと分かってしまった。  彼女には、彼女が本当に求める場所へ行く権利がある。  彼女はもう、僕のそばではない場所にある幸せを見つけてしまっている。    ああ、―――なんて悲しいんだろう。 「何?····ちょっと待って。圭さん、いま何か、とんでもない誤解してない?」 「――――どういう誤解?」  僕は、彼女の目を見る。  彼女としっかり向き合って、話を聞くしかない。  それはとても単純だけれど、残酷だった。  今までのささやかな幸せ全てと引き換えにしか、得られないという点において。  未可子ももはや、あからさまに狼狽を隠しきれていない。 「私は何も、か、隠して、なんか――――」 「未可子。もう分かってるから。あの本を見て、そんな反応するなんて、どう考えても、おかしいよ」  僕ははっきりと未可子の目を見据えて、そう言った。  彼女が本当の幸せを掴むことこそが、僕の幸せだ。  だから、もう逃げるわけにはいかない。  未可子は、案の定、顔を歪める。  そして、それを目にした僕の心もまた、バラバラに壊れていく。  ―――僕たちの幸せは、こんなにも脆かったのか。 「·····圭さん」  未可子が唇を震わせる。  もう何度もキスした唇。  それがどれだけ柔らかくて、甘くて、いとおしかったかなんて、今さらどうして思い出すんだろう。  僕はできるかぎり優しい表情を作ろうと試みる。  胸のなかにはどろどろの醜い感情が、いっぱいになるくらい満ち溢れていたけど。    未可子を怖がらせたり、傷付けたくはない。 「何。未可子」  一瞬の間を置いて、彼女はとうとう観念したような面持ちで頭を下げた。 「ごめんなさい。―――今までずっと、·····ごめんなさい」   ああ。  全身の力が、抜けていく。  もう戻れない。 「いいから、顔をあげて。こっちを向いて。何を隠してたのか、正直に、未可子の口から聞きたい」  のろのろと彼女は顔をあげた。  その頬は涙の後が残っていて、またすぐにでも泣き出しそうに見える。  ああ。大好きだ。未可子。  今日も綺麗だよ。  ごめん。誕生日なのに、こんなことになってしまって。  せめて、もっと早く向き合っていたら、もっと早く話を聞いていたら。  そんなことを考えながら、僕は二人の関係が決定的に変わってしまう最後の瞬間ぎりぎりまで、彼女の美しいその顔をこの目に焼き付けていたいと思っていた。
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