実験計画

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実験計画

 その日から、僕は彼女の心を繋ぎ止めるために、ありとあらゆる方法を模索するようになっていった。  まず、彼女と話す時間をたくさん持つようにした。  毎日、仕事が終わると速やかに直帰する。  たまには、お土産を買って。  未可子が今日はどんな気持ちでいるか、心底悩みながら。  陳腐な方法だと馬鹿にされてもかまわない。  僕には、可能性があるものすべてにすがりつくしかなかった。 「どうしたの、圭さん。最近楽しそうだね」  未可子は嬉しそうな顔でそう言った。  僕は、そうかな、と何気ない笑顔を装って言う。  そして、その実、彼女の瞳の奥に写る本当の感情はなんなのだろうと、耐えず探しているのだ。  ―――絶対に、未可子にはばれないように。   「ねえ、圭さん。秋になったら、また去年とおなじ渓谷に、紅葉狩りにいかない?」 「ん。いいね。僕も行きたいと思ってた」 「わーい。良かったあ。あそこの橋で圭さんが、高所恐怖症になってるのみるの、ちょっと面白かったもん」 「·····今年は目をつぶって渡るから、未可子がちゃんと誘導してくれないと、本当に落ちるよ」 「ほんと?分かった。できるだけがんばる」  そうやって彼女は少しいたずらっぽい顔で、僕の顔を見つめてくる。  他愛ない会話の中で、僕はポン、と心のなかに何かの花が咲くのを感じる。  そうして僕は幾日かの時間を乗り越えた。  8月も終盤に近づいた頃、僕はあることで悩むようになっていった。  彼女は9月9日生まれ。  僕たちのあいだには、誕生日にまつわるこんなルールがあった。  『誕生日プレゼントには、お互いが今一番読んで欲しい本をプレゼントすること』  未可子は元々読書家だった。  だから、本が欲しかったんだろう。  形に残るし、本は、選んだ人の心の中身を表す。  『私は、あなたのことがもっと知りたいの。』  彼女はそう言って、僕も賛成した。  彼女はいつもまぶしい。  それはたぶん、彼女自身が、その心の奥に何かどっしりとした大きな信念のようなものを、ずっと持ちつづけているから。  それは、僕が未可子に惹かれた理由の一つでもあったけれど、僕は未だにその信念というか、熱い気持ちのようなものが、どこに根付いているのか、全く知らない。  例年、僕は宇宙に関する本をプレゼントしてきた。  いつも、少しでも楽しんで欲しくて、なるべく初心者向けの本を選んでいたつもりだった。  完全に僕の自己満足なはずなのに、未可子はとても喜んでくれた。     今まであげたのは、6冊。  実は、結婚4年目に知った。  彼女がわざわざ、僕が渡した本を読むためだけに、ノートに何冊も何冊も手書きの用語集みたいなものを作っていたということを。  偶然そのことが発覚したとき、彼女は照れたように笑いながら言ったのだ。 『だって、しょうがないでしょ? 分かんないままでいたくないもの。あなたのこと』  僕は、今年、何の本を選ぶべきなのだろう。    死ぬほど、考え抜いた。  なぜならそれは、僕の気持ちを伝える唯一の方法だったからだ。  彼女は本をとても愛している。      臆病な僕は、必死に探した。  この世にある無数の本のなかから、彼女を取り戻すことができるものを。
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