12.いざ初戦 甲賀者、参る

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 蛇沼はついさっきまで、勝てそうだという妄想に苛まれていた。みんなと野球をする喜びという、蛇沼にとって一番大事なことを忘れてしまっていた。これも、欲だ。  だが、蛇沼はマウンドで汗を拭う藤田を見てハッとした。僕を誘ってくれた副島と藤田。僕はこの二人のために野球をやっていると言っても過言ではない。レフトを振り返ると、副島と目が合った。副島は蛇沼の変化に気付いた。ゆっくりと蛇沼に親指を立てた。任せた、と。  僕が藤田を落ち着かせないと。蛇沼はそう思った。 「大丈夫だよ! 藤田、逆に守りやすくなったから」  藤田は珍しく蛇沼が声を掛けてくれたことに驚いた。三塁方向へ目をやる。不思議と蛇沼の笑顔には優しさが溢れている。ずっと独りでいた分、蛇沼の表情や言葉には心からの応援がこもっているのだ。  ぺこりと頭を下げ、深呼吸した。そのままマウンドでぴょんぴょんと跳ねる。落ち着け、落ち着け、と。藤田はやっと高ぶっていた感情を抑えようとし始めていた。  この先輩たちがいるから、こうして試合できてるんだ。落ち着こう。  立ち直れるか……。ベンチから見つめる白烏はそんな雰囲気をマウンド上の藤田から感じた。しかし、一旦できた流れはそう簡単には止まってくれない。厳しさはまだ、止まらない。  藤田の投げ込んだボールが打者の膝元にキレ良く決まる。うん、よし。ミットに収めた滝音が大きく頷いた。 「拓也ーー! 良いボール!」  心配で声が出なかった母親も声を張り上げた。それほどミットを弾く音が心地よく球場に響いていた。  よし、さすが藤田。心を静めてくれたな。このコースに決まっていけば、満塁で守りやすい分、何とかなるかもしれない。ここは何とか最小失点で抑えたい。滝音はそう確信して、道河原と蛇沼に目配せをした。転がった場合、頼むぞ。  滝音からの目配せを受け取った蛇沼と道河原の二人。蛇沼は副島や滝音が警戒し始めた遠江姉妹社の試合巧者ぶりに理解をし始めていた。ここは落ち着くべきだ。そう感じ始めていた。  一方の道河原は完全に捉え間違えていた。なるほど、一点もやらせないってことか。滝音も俺に頼るようになったか。任せとけ。
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