12.いざ初戦 甲賀者、参る

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「審判どの。選手の交代を言いますぞ」  ひょこりひょこり、橋じいが審判へ歩を進める。  レフトから副島が叫んでいる。「おーい、どしたんや! おーい、橋じいが何かしとるぞ。伊香保ー、止めろー」  虚しくその声は風にかき消されていく。  ベンチでは伊香保が顔を真っ青にして、あわわと慌てふためいている。 「捕手の滝音くんをですなぁ、投手にしましょうかな。投手の藤田くんを左翼手へ。左翼手の副島主将を一塁手としましょうな。……ええ、どこまで言うたかの」  聞いている審判が明らかに戸惑っている。 「すみません、監督さん。2番を10番と交代ですね。背番号で言うてください」 「番号とな。うちの生徒諸君は囚人にあらず! 失礼極まりないと思いたまえ!」  試合前の万歳三唱と同じ音量が球場に響く。 「…………………………はい」 「えー、どこまで言うたかのう。あとは、あれじゃよ。一塁手の道河原くんを捕手としようか。あの体躯じゃ。向かい来る球にも身体で止めようぞ。のう、審判の御方よ」 「………………………………………………はい」  ピッチャー、滝音。  キャッチャー、道河原。  ファースト、副島。  レフト、藤田。  ……終わった。交代が告げられた以上、ピッチャーは必ず一人の打者に投げなければならない。  橋じいが動くなんて想像だにしていなかった。副島は呆然としながら、一塁へ向かった。ベンチから、ふぉっふぉと橋じいの笑い声が響いている。その前で伊香保がほぼ気を失っている。  道河原があくせくして、キャッチャーレガースをつけている。サイズが小さすぎて、何かの拷問でも受けているかのように見える。  藤田はレフトでしゃがみこんでいる。  置いてけぼりの白烏がブルペンで大口を開けて、こちらもほぼ気を失っている。  終わった。  副島は空を見上げる。太陽が腹を抱えて笑っているように見えた。
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