12.いざ初戦 甲賀者、参る

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 蛇沼は手で顔を覆った。  あの憎らしき日々を思い浮かべる。ひねくれざるを得ず、誰も友達がいなかった時を。手を顔から離すと、蛇沼の愛らしい顔はすっかり変わっていた。口角が鋭く上がり、目も吊り上がっている。  な、なんだ? 打者はその変わりように怯えた。  蛇剣を持つ要領だ。蛇沼は握ったボールを見て、思った。こんなに綺麗に握っちゃダメだ。そう感じて、適当に握り直す。全部の指でボールを握り、爪を立てる。初めてボールに触れた赤ちゃんが握るように、めちゃくちゃな握りかたをした。  蛇沼が道河原に向かうが、道河原は敢えて首を振った。サインは出さない。そんな合図だ。それを見て、蛇沼は細い舌でペロリと唇を舐めた。屈強な道河原でさえ、その姿を見て身震いする。人とはここまで変われるものなのか。  蛇沼がとても投手には思えない投げ方で初球を投げる。ボールは打者に向かっていく。球速は遅いが、慌てて打者はボールを避けた。  だが、そのボールは途中でゆらりゆらりと揺れ始めた。ボールは信じられない軌道で大きく揺れながら曲がり、すぽりと道河原のミットに収まったのだ。蛇沼は何も意識していないが、いわゆるナックルという球種だ。  ス、ストライッ!  それが、本当にたまたまストライクゾーンへ入っていった。これはただのラッキーだが、初球でこの球を見せたことが大きかった。
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