夜の櫻に蔭はなく

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 「――ん、あれ?」  と。  その言葉で、僕は我に返る。  彼方に飛び立ってしまっていた意識を引き戻すと、視線の先で、「彼女」が僕を見つめていた。  どうやら声をかけられたらしい、と気づいて、それから、僕は彼女と面識があっただろうか、なんてことを考えていると――不意に、彼女は笑みを浮かべて。 「……珍しい、こんな時間に人がここに来るなんて。……あなたも、夜桜見物?」 「あ、いや、僕は」  たまたま大学に課題を置いてきて、取りに来た帰りに通りがかっただけ――というのは、いささか長いうえになんだか自分の間抜けさをさらすようで気が引けた。 「……えっと、たまたま通りがかっただけ、かな」  結局、そんな風に言葉を濁す。 「ふぅん、残念」  そんな風に言う彼女は、本当に少しばかり残念そうな表情をしていた。 「……と、いうことは、君は、桜を見にここまで?」  そう聞くと、彼女は急に明るい顔になって頷く。  その表情の変わりようとか、わざわざここまで、しかも夜に一人で桜を見に、なんて変わった人だ――なんて思っていると、それが表情に出てしまっていたのか、彼女は不意に話し始める。 「……えっと、ね。ここだけなんだ、夜桜がちゃんと見える場所。――ほら、街中って、証明とかライトアップとか、眩しいから」 「……普通、そっちの方がちゃんと見えるんじゃないかな」  その僕の素朴な疑問に、彼女は首を振って、それからまた、頭上の桜の花を仰いで。 「……月の光だけで見る夜桜って、なんだか特別だと思わない?」  そんなことを言われて、ふと、僕も夜の空を見上げる。  そこには、春の霞がかかった月が輝いていて――あぁ、なるほど、確かに。  それは、月も、桜も、……彼女も。
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