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眠れないときには羊を数えて。
そう言われると、羊を自分の好きなものや欲しいものに替えて数えていた。
すると眠くなるどころか目が覚めてきてしまって、次の日の昼間に充電切れになって眠ってしまう。授業中に船を漕いでは先生に叱られる。
そんな子供だった。
私を間近で見てきた両親は、今でも私が心配でたまらないらしい。
落ち着きのない娘がこの職場で長続きするかどうか、職人のお邪魔にならないか。
就職先にやって来ては店長に問い詰めている姿は、なかなかに滑稽だった。
そう言ってしまえば、彼らの勢いに圧倒されていた店長に失礼かもしれない。
「下川さん」
「はい」
奥から出てきたのは、色白の青年。
私自身も色白の部類に入る肌色だが、彼はそれよりずっと白い。
そのせいか、黒い髪と瞳が闇のように見えてしまう。
「10時に出る用があるので、その間お留守番をお願いしてもいいですか」
今日は平日ですし、予約も入っていないので。
やわらかに微笑まれてしまうと、育ちの差が出るものだと思う。
すらりと線が細い体躯と上品な立ち居振る舞いは性別を超越しているし、未だにこうして向かい合うと緊張で手汗がすごいことになる。
「わかりました」
「もういっそ、『準備中』にしちゃってもいいですよ」
人見知りをする質だったのかこれまでは丁寧語の挨拶しかしてこなかったのに、最近になって急にこの手の軽口が増えたものだから、つい戸惑ってしまう。
「いけません。それでは給料泥棒になってしまいますから」
内定をもらっていた企業が倒産したところを、とある縁で拾ってもらった身だ。
それに、ようやく仕事を覚えてきたところで楽しくなってきた頃でもある。
「では、店内と作業場の掃除をお願いしましょうか。万一お客様がいらっしゃれば、ヒアリングと計測までお願いしますね」
連絡先もきっちり聞いておくように、と母親のように言う。
「承知しました。では、お気をつけて」
カランとベルの音が鳴って、ドアが閉められた。
カフェだった建物を数年前に改装したという店内は、昼間は日の光が差し込んできて明るい。
特に私のお気に入りは、ドアのガラス部分だった。雑誌でのっているオシャレカフェよりずっと雰囲気がある。
雑巾で撫でてやると、改装の際に書き換えた店名がよく見える。
枕専門店 夢屋
店長がいなくなった店内では、私の鼻歌だけがひっそりと響いていた。
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