眠りのなかで

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 *  翌朝。  私は借家の布団のなかで目をさました。  変な夢を見た。幼いころ、実家で体験した、あのこと。  そうだ。思いだした。  私が子どものころは、あの音をよく聞いた。  そのたびに寝られない夜をすごした。  だから、私は家鳴りが嫌いなんだ。実家が嫌いだったんだ。  なんで忘れていたんだろう?  中学のころには、もうあの音は聞かなくなっていた。たしか、祖父が死んだあとからだ。  祖母もそれについては何も言わなかったし、すっかり忘れてしまっていた。  まだ子どもだった私が見た、現実っぽい夢にすぎなかったんだろうか?  子どもは変な夢をよく見るものだ。夢と現実の区別もつきにくいし、それで現実のことだったと勘違いしただけかもしれない。  なんだか、言うに言われぬ不安にかられたが、私はムリヤリそう思いこもうとした。ただの夢だったと。  とにかく、不動産屋に行って、新しい家を探そう。  その日は土曜日だったので、職場は休みだ。私は一日かけて、引っ越しさきを探した。  けれど、なかなか、いい物件はないものだ。  しかたない。明日、また探そう。今日だけは我慢して、あの家に帰るしかない。  いや、根本的な原因は、子どものころに体験した実家での思い出のせいだ。今の家が悪いわけではない。急いで引っ越さなくても、何も起こるはずがない。  私は自分をはげまして、借家に帰った。  怖々、家に入る。  とくに何もない。ただの古い家だ。電気をつければ、蛍光灯が明るい光をなげる。  私は、ほっとした。  よっぽど神経質になっているらしい。  こんな調子だと、親父のようになってしまう。  親父か。親父と言えば、イヤな思い出がある。  あれは小学二年の夏休みだった。自由研究のために蚕を飼いたいと言いだしたのは、私だったらしい。私自身はそのあたりのことを、よくおぼえていないのだが。  以前、養蚕していたころの桑の木が、まだたくさん残っていた。  どこから入手したのかわからないが、私は念願どおり、蚕の飼育を始めた。  最初は順調だった。  もぞもぞと桑の葉を食う白いイモムシを、私はけっこう可愛がっていた。ころころ太って、マシュマロのようだ。  ところが、その蚕が日に日に減っていくのだ。最初は二十匹いたのに、一匹、二匹と姿を消して、半分になった。  ちゃんとカゴに入れていたから、蚕が自分で脱走しているとは思えなかった。  病気や何かで死んだのなら、死骸が残るはず。しかし、死骸もない。  原因がわからないことで、私はかなり悩んだ。  実家では猫を一匹、飼っていた。シロというメス猫だ。シロがどこかへ持っていってるのかもしれないと思った。  いなくなるのは、いつも家族が寝静まったあとだ。シロは夜行性だから、きっと、夜のうちに、カゴから蚕を持ちさっているのだろう。  私は腹が立ったので、真相をつきとめてやろうと、その夜は中二階にこっそり身を忍ばせた。  とは言え、子どものことだ。いつのまにか眠っていた。夜中にキシキシときしむ音を聞いて、目をさました。  あっ、しまった。  シロのやつにさきをこされたんじゃないか?  私はあわてて、懐中電灯をつけた。音のするほうにむかって光をなげた。  すると、光のなかに立っていたのは父だ。父は口に白いものをくわえていた。  私は悲鳴をあげて気を失った。  翌日、目がさめたときには、私は自分の部屋で布団に寝かされていた。  泣きわめいて昨夜のことを家族に話したが、誰も本気にしなかった。夢を見たんだよと笑われた。  なるほど。たしかに、そうだ。  あれが、ほんとのことであるわけがない。  優しい父が息子の飼っている蚕を、夜な夜な食っているなんて。  そのあと、残りの蚕がどうなったのか、おぼえがない。  父が自殺したのは、夏休みの終わりごろだった。
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