27人が本棚に入れています
本棚に追加
*
翌朝。
私は借家の布団のなかで目をさました。
変な夢を見た。幼いころ、実家で体験した、あのこと。
そうだ。思いだした。
私が子どものころは、あの音をよく聞いた。
そのたびに寝られない夜をすごした。
だから、私は家鳴りが嫌いなんだ。実家が嫌いだったんだ。
なんで忘れていたんだろう?
中学のころには、もうあの音は聞かなくなっていた。たしか、祖父が死んだあとからだ。
祖母もそれについては何も言わなかったし、すっかり忘れてしまっていた。
まだ子どもだった私が見た、現実っぽい夢にすぎなかったんだろうか?
子どもは変な夢をよく見るものだ。夢と現実の区別もつきにくいし、それで現実のことだったと勘違いしただけかもしれない。
なんだか、言うに言われぬ不安にかられたが、私はムリヤリそう思いこもうとした。ただの夢だったと。
とにかく、不動産屋に行って、新しい家を探そう。
その日は土曜日だったので、職場は休みだ。私は一日かけて、引っ越しさきを探した。
けれど、なかなか、いい物件はないものだ。
しかたない。明日、また探そう。今日だけは我慢して、あの家に帰るしかない。
いや、根本的な原因は、子どものころに体験した実家での思い出のせいだ。今の家が悪いわけではない。急いで引っ越さなくても、何も起こるはずがない。
私は自分をはげまして、借家に帰った。
怖々、家に入る。
とくに何もない。ただの古い家だ。電気をつければ、蛍光灯が明るい光をなげる。
私は、ほっとした。
よっぽど神経質になっているらしい。
こんな調子だと、親父のようになってしまう。
親父か。親父と言えば、イヤな思い出がある。
あれは小学二年の夏休みだった。自由研究のために蚕を飼いたいと言いだしたのは、私だったらしい。私自身はそのあたりのことを、よくおぼえていないのだが。
以前、養蚕していたころの桑の木が、まだたくさん残っていた。
どこから入手したのかわからないが、私は念願どおり、蚕の飼育を始めた。
最初は順調だった。
もぞもぞと桑の葉を食う白いイモムシを、私はけっこう可愛がっていた。ころころ太って、マシュマロのようだ。
ところが、その蚕が日に日に減っていくのだ。最初は二十匹いたのに、一匹、二匹と姿を消して、半分になった。
ちゃんとカゴに入れていたから、蚕が自分で脱走しているとは思えなかった。
病気や何かで死んだのなら、死骸が残るはず。しかし、死骸もない。
原因がわからないことで、私はかなり悩んだ。
実家では猫を一匹、飼っていた。シロというメス猫だ。シロがどこかへ持っていってるのかもしれないと思った。
いなくなるのは、いつも家族が寝静まったあとだ。シロは夜行性だから、きっと、夜のうちに、カゴから蚕を持ちさっているのだろう。
私は腹が立ったので、真相をつきとめてやろうと、その夜は中二階にこっそり身を忍ばせた。
とは言え、子どものことだ。いつのまにか眠っていた。夜中にキシキシときしむ音を聞いて、目をさました。
あっ、しまった。
シロのやつにさきをこされたんじゃないか?
私はあわてて、懐中電灯をつけた。音のするほうにむかって光をなげた。
すると、光のなかに立っていたのは父だ。父は口に白いものをくわえていた。
私は悲鳴をあげて気を失った。
翌日、目がさめたときには、私は自分の部屋で布団に寝かされていた。
泣きわめいて昨夜のことを家族に話したが、誰も本気にしなかった。夢を見たんだよと笑われた。
なるほど。たしかに、そうだ。
あれが、ほんとのことであるわけがない。
優しい父が息子の飼っている蚕を、夜な夜な食っているなんて。
そのあと、残りの蚕がどうなったのか、おぼえがない。
父が自殺したのは、夏休みの終わりごろだった。
最初のコメントを投稿しよう!