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なんとなく気味が悪くなってきて、濡れることを覚悟で店を出ようかと思っていると、数冊の冊子が平積みされているのが目についた。他の本とは違い、紙を紐で綴じただけの手作り感溢れる冊子だった。表紙には黒いミミズのような文字が躍っていた。墨で書かれた崩し字のようだ。
凪はその冊子を思わず手に取っていた。かなり古いものだろうと思われたが、意外にも紙はしっかりしているようだ。中を見ると、表紙と同じような文字が並んでいる。
内容こそさっぱりわからなかったが、くるくると踊るような筆跡は見ていて楽しかった。
いったいどんな人が書いたものだろうか。
「それが気になるのかい?」
突然声をかけられて、凪は心臓が口から飛び出るかというほど驚いたが、幸いにも彼女の心臓はまだ左胸で大きく脈を打っている。
カウンター越しのおばあさんは、凪よりも一回りほど小さく、地味な鈍色の着物を着ている。肩のあたりで切り揃えられた髪はまっすぐで美しかった。
「ええ、ちょっと……」
「それはね、ある人の日記なんだよ」
「日記?」
古い冊子をもう一度見る。日記だと思うと、先ほど中身を見たのが後ろめたくなった。
「誰の日記なんですか?」
「そうねえ」
おばあさんは少し考えてから、いたずらっぽく笑って言った。
「名もなき一介の女房、ってところかね」
「女房?」
日常会話ではめったに聞かない単語に、思わず聞き返す。
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