東軍側

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家康がいたということは、ここで首実験をしなければならないらしい。首を持った武士たちが「(わたくし)はこんなすごい人を討ちました」という報告に来たそうだ。 その首がすごい人の首なら、首を取ってきた人の評価が上がって褒美も良い物になる。それが首実験である。 ここに首がゴロンゴロン転がっていたのだろうか? 首だと大変だから耳を持ってきたと聞いたような気もする。耳の場合は誰かを知ることはほとんどできないだろうから、数を競ったのであろう。 いったい、どれだけの命が失われたのか。 かつては人として(みずか)ら動いていた(モノ)が大量に置かれたであろう地面を見つめる。どんな感じで持ってこられたのだろうか? 自分たちが切り取ったパーツを血が滴るまま持ってきたのか。もしかして、ここにその血がしみ込んだのか。それらを持ち、ご褒美をくださいと意気揚々とやってきたのか、後悔の念と戦いながらやってきたのか。 天下を賭け、多くの人の命が失われる戦が、かつてこの地で繰り広げられた。
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