第1話

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1  自然に、目覚める。枕元に手を伸ばす。指先が硬い物に触れる。掴み直して、顔の前に持ってくる。輪郭沿いに触れていく。ボタンを押して、明かりを点す。短針と長針の位置を見る。本田 亜理沙(ほんだ ありさ)は、苦笑いする。暗い時間に起きるために、目覚まし時計をセットした。実際は、三十分早く目が覚めてしまった。取れた睡眠は短いが。アラームを止めて、起き出す。軽く緊張していて、眠っていられない。  障子を開く。亜理沙は顔だけ出して、左右を見る。畳から廊下に足を下ろす。張られた木がきしむ。古い和風家屋で、無理だ。抜き足、差し足、忍び足でも。眠っている家族に詫びながら歩く。  トイレを使う。いない。洗面所を使う。いない。リビングに向かう。ドアにはめられた曇りガラスから漏れる明かりを見て、がっくりする。見える影は、二つ。また、負けた。子どもにも。 「おはよう!」  ドアを開く。奥から涼やかな低い声での挨拶。伏せていた顔を上げた天宮 虹と目が合う。読み方は、「あまみや こう」だが。皆、まんまの「にじ」ちゃんと呼ぶ。初めは、困った顔をしていたが。今では、受け入れている。彼女の前にあるテーブル。上に広げられた新聞。半ば辺りのページだ。一体、いつ、眠っているのだろう。 「おはよう」  つい、恨みがましい声が出る。亜理沙は向かい側の椅子を引いて座った。虹は首をかしげて、見返してきたが。気づいて笑った。 「まあまあ、白湯でも飲んで落ち着こうよ。飲みごろだよ」  押し出される湯呑み。添えられた手は小さい。右前の子ども用の椅子に座る。虹の息子の蓮(れん)だ。ニコニコとする子どもに、亜理沙は礼を言う。湯呑みを手にして、白湯を口に含む。少し、熱めの湯が喉を通っていった。 「緊張して、喉を通らないのは分かるよ。でも、おなかにおさめておかなきゃ。他人に会った時、おなかが鳴ったら恥ずかしいでしょう」 「……」  新聞を畳んだ虹に、まっすぐに見られる。優しく諭す。むうっとして、亜理沙は唇をとがらせる。言われてみれば、彼女が正しい。子どもの手前もあり、すねる訳にもいかない。茶漬けと聞いて、頬をほころばせる。彼女が台所に立つ。
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