1、もしも私が…

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 そこで私は、実のところ、護国寺で幼稚園の先生をしていることを打ち明けた。  大学では、幼・小・中・高の教員免許を取得した私は、親の反対を押し切って幼稚園を志望した。幼い子どもが好きなのだ。変質者的な意味ではなく、彼らはとても素直で、直感的だ。言い方が悪いかもしれないが、誤解を恐れず言うならば、イヌやネコのようにかわいいのだ。  私に言わせれば、小学校に入ると、人間もうダメだ。学校という施設は、良い人間や良い人生を生み出す場所ではなく、社会や大人にとって扱いやすい人間を生産する工場だ。子どもたちの自由な発想はベルトコンベアに載せられ、流れるままにミキサーにかけられて、スーツの形をしたペットボトルに注入されるのだ。そして、スーツやネクタイが似合わない発想や思想は不良品として廃棄、除外されてしまう。  完全に否定するわけではないが、ただ、もう少し「自由」に関して寛容であっても良いと思うのだ。  私はそのような粗悪、極悪な工場で働くのが嫌でしようがなかった。だから、私は幼稚園教諭の道を選んだ。  「娘さん、お名前は?」  「ええ……ルミ……といいます」私が幼稚園教諭であるとわかって安心したのか、その母親は少し落ち着きを取り戻したようだ。  「ルミちゃんですか。かわいいですね。今日はどちらまで?」俗な言い方だが、バレてしまっては仕方がない……。サービス残業みたいなものだ。業務外だが、先生スイッチをいれることにするか。  「すみません……なんだか、動転してしまって……」彼女はうつむき、小声で答えた。  「いえいえ、お母さまは何も悪くありませんよ。子どもが泣いて、なにがいけないのでしょう?」むしろ私は、ここまで母親を追い込んでしまったこの車内の空気に腹が立った。舌打ちを繰り返すオヤジを見て言う。「あんな人を気にしてはいけませんよ。よほど退屈な人生だったのでしょう。ほんの少しの刺激のために、八つ当たりをしているのです」母親はくすりと微笑んだ。「本当に。わたしも同じ気持ちです」。  いまや私はこの母親に奇妙なシンパシーを感じ始めていた。一種の連帯感と言ってもいい。娘を落ち着かせるという共通の目的と、ハゲオヤジという共通の敵がいる。人はそれだけでも一つになることができる。  
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