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「確かに見事だな」
英治が見上げたその桜は、満開という言葉では留められない程、薄桃色の桜が溢れているた。
「この迫力で、年がら年中咲いているなんて奇跡だぜ」
「鷹取邸の桜は散ることがない」それはこの町の誰もが羨ましく思う不思議な現象だった。
鷹取邸を囲む高い塀から上部だけを覗かせながら、この桜は、真夏も雪の降る日も休むことなく自己主張をしていたのだ。
「もしかしたら、この桜を下から見上げたのは先生以外に俺が初めてなのかもな」
そう英治が寝転びながら呟いた時、ふと、大きな枝ぶりすに隠れていた、奥まった枝元に、何かが跨っているのを見つけた。
少女がいた。
黒地に白い斑点柄の浴衣を着た少女が、安定した跨りのまま、花弁に触れて何かをしている。
歳は五歳くらいだろうか。
「ちょっと君!危ないよ!」
英治は飛び起きた。
「何してるの?いいから降りておいでよ」
腕を広げた英治を一瞥して少女が言った。
「だいじょうぶ。何度もやってきたことだから」手を休める事なく少女が応えた。
「何しているの?お父さんやお母さんと一緒?」
「お父もお母もとうに死んだ」淡々と少女は応えた。まるで独り言のようだ。
「君は何をしているの?」英治は出来る限り優しく語りかけた。
「桜が、散らないように、留めてるの」少女はそう言って、握りしめていた小さな手のひらを開いてみせた。
フエキ糊。小学校の頃、図工の時間に使っていた指に付き纏うそれだった。
「これで、くっつけてるの。風が吹いても、散らないように」
「・・・何でそんな事してるの?」英治は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「・・・君がそうやっているから、この桜は散ることも無く咲き続けてるの?」
「そう。もう光太郎がいないから、私独りでもやらなきゃ、お兄ちゃんも困るでしょ?」
「・・・何で俺が困るの?」
「ここを満開にしとかないと、迎えの列車が来ないから」
「・・・迎えって?」
「お兄ちゃん、死んでるでしょ。だからお迎え列車」
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