第1章

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 そもそも、リタリンに関しては、まだ精神科で処方可能だった1990年代に各地の精神科で頻繁に処方されていて、結果的に、その強烈な覚醒作用、気分の高揚感、多幸感、エネルギーに満ち溢れるような感覚、そして、世界は自分を中心にして回っているのだという自我超越感などによって、別人格が宿るようになる。当時、一人暮らしをしていた私は、リタリンが回ったハイな状態で、夜中の2時半に、会った事も無い同じアパートの住人の部屋を赤ワインとグラスを持って回り、 「こんばんは!お近づきのしるしに、赤ワインでも一緒に飲みながら、じっくりと夜明けまで語りつくしませんか?」  などとぬかして警察を呼ばれそうになった事もある。  リタリンの魔力に完全に支配された私は、錠剤を経口服用するだけでは、効き目が悪くなり、小型のミルサーを千葉そごうで買ってきて、連日連夜オリジナルドラッグの製造作業に没頭する事になる。ミルサーの蓋を外して、確かリタリン2錠―イミプラミン2錠―デパス1錠の黄金比率を一週間かけて導き出し、その比率で数日分のオリジナルドラッグをミルサーを使って完璧な白い粉末状にして、小型のビニールパックに詰め込んだ。  粉末状になった錠剤たちを、私は、不気味な笑みを浮かべながら短く切ったストローで一回分、確か耳かき一杯程度を鼻から一気に吸い込んだ。所謂(いわゆる)「スニッフ」っていうやつだ。 「ヒャッホ~!!」  エクソシストみたい。悪魔が完全に私の身体を支配した。ヤクが回っている間に、必ずすべき「儀式」があった。私は、ベッドに横たわり、興奮した状態のまま自慰行為を始めた。これが、ハンパなく凄かった。強烈な快感が、私の背中の神経を迸(ほとばし)って脳の中枢神経まで駆け上がり、最後のオルガスムスの瞬間、稲妻のごとき勢いで私を昇天させた。  結果的に、私の異変に気付いた家族が、千葉県千葉市緑区にある、国立薬物依存者更生施設に私を強制入院させた。恐らく、それで正解だったのだろう。あのまま、リタリンの乱用を続けていたら……私は、死んでいただろう。今にして思えば、その後のメンヘラ地獄を考えると死んだ方が良かったのかも知れないと、ナーバスに思ってしまう。
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