苦い。それから甘い。

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 結局、着いたのは夕方だった。  地図を見ても、人に話を聞いても桜のありかはわからなかった。道は入りくんでいるし、息止まりもしょっちゅう。  それでもようやく、たどり着いた。ビルのすき間にある空き地にその桜は咲いていた。 「すごい......」  オレンジの光に照らされて天国の雲みたい。優雅で、堂々としていて、儚げで。  樹の幹に触れた。熱い。まるで生きているみたいに。そのとき、むこうからだれかがあらわれた。  男の子だ。このあたりでは見かけないブレザーにネクタイ。 「あっ」  かすかな、でも耳に残る声。おたがい見つめ合っているうち、どちらともなく笑いだした。 「高校生?」 「そう。あなたも?」  わたしの問いに、彼はあいまいな微笑みを浮かべた。 「うん。でも、もう引っ越すから」  高校で?普通、お父さんが単身赴任をするものじゃないの。そう言いかけて、あわてて飲み込んだ。 「残念だね」  わたしはまた桜を見上げた。なにも話す必要なんかない。立っているだけでうっとりした気持ち。  描きたい。樹のざらつき、花びらのやわらかさを。 「歌にしたい」  歌?聞き返す前に、メロディーが聞こえてきた。テレビやラジオで流れるものとはちがう、まるで。 「許してもらうための歌、みたい」  口を手でおさえたけど、間に合わなかった。  でも怒っていなかった。それどころか、わたしの両手を包みこんだ。 「ぼく、とんでもないことをしてしまったんだ。謝っても足りないようなことで、転校するのもそのため」  謝っても許してもらえないのは、同じだ。 「わたしも、みんなを傷つけた。でも謝ってもうまくいかなかった」 「本当の気持ちって、言葉にしてはダメなんだよ。気持ちをそのまま形にするには、別の方法がいる。君に聞かせられて、よかった。だれでもいいから聞いてほしかったんだ。これで、形になった」  わたしは小さくうなずいた。もうあたりは暗い。さっきまで暖かかった空気が、ひんやりしている。目を閉じると、いろんな色が浮かびあがった。  わたしも描いてみよう。後悔した気持ちを、そのままに。そしてだれかに届けよう。 「ねえ名前はなんていうの?」  もう彼はいなかった。それどころか、桜も散っていた。 (そんな、嘘。だってさっきまで)      
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