言葉になんて

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言葉になんて

 できた。最後のひと塗りを終えて、わたしは筆を下ろした。  深い青に桜の花びらが沈んでいく絵だった。この青はなにかと聞かれても、答えられない。空か、海か、涙か。でもまあまあの出来だと思う。  あいかわらず、美術部のみんなと口を聞くことはない。それでもかまわない。だってわたしがしてしまったことなんだから、わたしが気まずい思いをするのは当然なんだもん。  そう思うと、楽になった。  あの桜を見た夜、こわくなって、気がついたらお姉ちゃんのアパートにかけこんでいた。お姉ちゃんはびっくりしていたけれど、なにも言わずに熱いコーヒーを出してくれた。 「家出?」  まさか。でも時計を見ると、門限はとっくに過ぎていた。 「そんなこともあるよね」  それから電話でパパとママに話をしてくれて、わたしは怒られずにすんだ。  まだ謝ってはいない。でもあれからときどきアパートには顔を出している。第二の部屋ができたみたいで、うれしい。  机や本棚には山のような教科書があった。アパートを借りたのも、実験や実習で一分一秒も惜しかったからなんだって。 「だれかさんのことでへこたれるほど、わたしは子供じゃありませんからね」  そういって笑ってくれる。  絵を乾かしているあいだ、画材道具を整理した。次はなにを描こう。受験に本腰入れて、徹底的に模写に取り組まなきゃいけないけど。その前に楽しいものも描きたい。  倉庫にいる顧問に見せるため、キャンバスを持って廊下に出た。  ちょうど由利香が帰ってきた。  むこうもお辞儀をしたから、こちらも返す。でもすれちがうタイミングで、 「あのさ」と、声をかけた。由利香も立ち止まった。  わたしは高鳴る心臓をなだめながら、一息にしゃべった。 「今度、展覧会行かない?チケットもらったけど、ペアだったから」  廊下は静まりかえっていた。 「あんたと行くわけないでしょ」  そうだよね。だれかに許してもらうのは、もっと時間がかかる。恥ずかしくなって、小走りしようとしたとき。 「だからチケットだけちょうだい。あたしの友達と行くから」  由利香は舌を出して、笑っていた。 「うん!楽しんできて」  足がすごく軽くなった。ポケットが震える。スマホのメールサービスに届く、新着ニュースだった。すぐスイッチを切ろうとしたけど、見出しが目に止まった。 『高校生逮捕。父親を殺人未遂』
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