ハチノス

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 その店はぱっと見、開いているのか閉まっているのかわからないたたずまいをしている。店の名前を「ハチノス」。外見は昭和時代の喫茶店のような、ところどころタイルをはめ込んだ壁に木製の扉をしている。窓ガラスは店内が見えづらいスモーク張りだが、中からは外がよく見える。 内装も年代を感じる。染みなのか模様なのかわからない色のソファーや、少し上品だが黒ずんだテーブル席など、よく言えばレトロとも表現できる。営業時間は朝七時から夕方四時まで。ランチは予約限定でディナーも営業しているが、値段の差が同じ店とは思えないほど変わる。 「え、この店開いてんの? 」  店の前で掃き掃除をしていた恵は、ひそひそ話して通り過ぎる、近所のパチンコ店の制服を着た、女性二人組を見上げた。目が合った瞬間、フロアスタッフとしての意地でほほ笑んだ。彼女らは一瞬固まったが、足早に過ぎて行った。  いちげんさんお断りの雰囲気を感じるハチノスは、入ったことがない人には空き店舗に見える。恵もそう思っていた。インターネットにも地元のおしゃれな雑誌にも掲載されていない。SNSのネタ枠にも取り上げられない。店の前に看板を置いているのだが、店の存在感に圧倒されて気づかれないらしい。  掃除を終えて店の扉を開けると席は半分埋まっていた。ジャージ姿の老人、ランチ中の女性客が数人、サラリーマン。皆知っている顔だ。 「店長、今度の夜来てもいい? 」  中年のサラリーマンが言うと、店長はコーヒーカップにお代わりを注いだ。 「いいですけど、決まったら予約してください。料理が用意できないんで。」  店長は愛想のない無表情で答えた。挨拶の声も、スマートフォンをいじっている高校生並みに愛想がない。けれど常連客はそんな店長の素っ気なさが気にならないらしい。むしろ好きらしい。 「奥さんと来るならアレルギーと好きなものも教えてくださいよ。たしか、もうすぐ結婚記念日でしょ。」 「え? そんなこと店長に話した? 」 コーヒーを飲みかけたサラリーマンが驚いた。 「してたよ。去年忘れてて大変だったって。」  店長がふふっと笑う。  店長のような素っ気ない接客は塩対応と呼ばれるらしい。たしかにそうだと思う。しょっぱい中に、時々出てくる甘さがたまらなくくせになるのだ。
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