時は来たり

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「どうしたの」  台所からのそりのそりと縁側を見やると、これはまた珍しいお客さまだ。もしかするとなんらかの拍子にカゴから出てしまい、そのまま家の窓も飛び抜け、そうして迷子になったのかもしれないとまで瞬時に考える。わたしを驚かせた水色のセキセイインコは、妻のお椀のふちで羽を休めつつ水を啄んで遊んでいるように見えた。  そうとなれば、先程の猫のそれは苦情めいたものだろう。威嚇するでもなく、ただただ、早くどこかに行って欲しそうな目で待機中だ。  そこに人間という邪魔ものを差し込みたくないなあ、と薄ら頭に浮かんだものを盾にして、いそいそと孫からもらった電気ケトルに水を注ぐ。これで湯を沸かしたら、息子夫婦からもらった保温ポットに移しかえるだけ。便利な世の中になっていくたびに、ありがとうを言う機会を失っていくのはとても物悲しいことだった。  ほかほかの玄米茶の容器とした湯呑みを手に、そろりそろりと、なんの役にも立てない年寄りとして縁側へ。一歩近付くたびに警戒され、先程腰をおろしたところに足を乗せたときには一羽のお客さまのお帰りだ。やはり保護して警察へ、などわたしには難しかった。若いころは率先して手伝っていたけれど、さすがにもう厳しかった。 「にゃあん」  ぽかぽかした日射しを浴びながら飲む水はそんなに美味しいのか、甘えたような声を耳にした。  桜、満開、大勢の花見客。テレビから拾えたアナウンサーの声はそのような単語をテーマに置いている。けれど、そもそもこんな片田舎で観るような番組ではないのだ。四月中旬、下旬の北海道で桜が満開だとすればそれは異常気象の可能性も捨てきれない。地域によっては咲いてもおかしくはないのだけれど、毎年ゴールデンウィークの目玉イベントとされる花見が、もしも今日ここであったとすれば、わたしはなにを見てお茶をすすればいいのだろうか。  まだ咲く気配のない庭の桜の木の下を見ても、花弁ひとつ落ちていない。
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