古い邦画のような口説き文句で君を誘いたいのだ

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 今日は入社以来6度目の花見だった。部長はいつもより上機嫌で、若者に流行りの曲を大音量で流しては新入社員を無理やり誘って踊ってるし、幹事が用意した食事も中々良いものだった。昨年は「脂っこいものが多すぎる」と女性陣から不評だったけれど、今年はあっさりした和食弁当で、ほとんどの社員が残さなかったよ。…そういう訳で、花見は例年よりも盛り上がった。だから、僕がこうして抜け出して散歩をしていても咎める人はいないのさ。  浮かれた人だかりを横目に、僕はふらふらと彷徨った。公園の灯りが少しずつ淡く光って、空が青と橙になる。日が沈みそうなこの時間帯は、「マジックアワー」と呼ばれるらしいね。美しい景色が見られるそうだよ。尤も、僕はそんな風に感じちゃいなかった。ただ「あの宴はいつまで続くのか」と、そんなことばかり考えていたよ。  やがて桜並木が途絶え、電灯も無い場所まで僕は来た。そろそろ引き返そう、そう思った時、遠くに一本だけ、桜の木が見えた。ぽつり、と小ぶりな薄白色の塊が、春の突風に打たれて波打つ。その下に人影があった気がして、僕は目を凝らし、ゆっくりと近づいたのさ。10歩ほど近づけば、それは灰色のワンピースを着た女性だと分かった。肩まで伸びた黒髪には、桜の花びらが数枚張り付いていて、彼女が決して短い間そこに居た訳じゃないことも知った。彼女はこちらに背を向けて、天を見上げている。  本当に不思議だよ、僕はその人に声を掛けようと思った。誰も居ない暗がりの桜の木の下で、ぼんやりと上を向く女に近づこうなんて、普通の人ならしないだろうね。でも、僕はした。何故だと思う?  美しい。そう思ったんだよ。  「君」を見た瞬間に、僕は普通じゃなくなったのさ。愛を取り戻したんだよ。  君を泣かせた彼の事は、もう忘れた方がいい。  また笑って過ごす決心がついたら、何時でも良い、僕に電話を掛けてくれ。きっと幸せにしてみせるから」
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