第三夜

8/9
前へ
/14ページ
次へ
しかしわたしの足取りは重くなった。 「七十四年か……」 長すぎはしないだろうか。 四階の奥、六人部屋の入り口。 プラスチックのプレートに青いペンで「高木浩」とある。 わたしは、なかに入った。 むっと、排泄物と薬の臭いが鼻をつく。 うすいビニールのカーテンで仕切られたベッドの上に、六つ子のようなおじいさんたちが、管に繋がれて眠っていた。 五人のお爺さんは、まだ息をしている。 だけど窓際のおじいさんだけは、息が止まっていた。 「……ヒロシ?」 おそるおそる水玉のカーテンをめくって近づいた。 「イズミだよ」 あの強かったヒロシと、目のまえの老人が合致しない。 ヒロシの髪の毛は白くなり、しかもほとんど残っていない。禿頭は、茶色い染みにおおわれている。 浴衣はよれよれで、ところどころすり切れている。 「……あんなにおしゃれだったのになあ」 ヒロシは、格好つけだった。 作業服も毎日寝押しして、シャツもきちんと洗って工場に来ていた。 それをわたしは面白いと思っていた。 「……ヒロシ」 高木浩は、長いあいだ寝ついて、放っておかれた老人だった。 「かわいそうに…」 うすい皮膚がはりつき、青黒い血管がボコボコと浮きでた手をそっと撫でる。 まだ暖かい。 「あんまり見てくれるなよ」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加