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困ったような声がした。
ハッとふり返る。
いつの間にか窓が開いて、夜風が吹き込んでいる。
窓際に、ヒロシが座っていた。
あの日、別れたままの十六の姿だった。
長い足をブラブラさせている。
「つらいこと、おおかった?」
気づけば、いつものように話かけていた。
「……ときどき。でももういいんだ。イズミが来てくれたから」
ヒロシは手を差し出す。
「行こう。桜が満開だ」
私たちは、ひらりと窓から飛びおりた。
「いい夜だ」
「でもどこに行くの?」
それは猫を迎えにきたおばあさんも、夜の桜の下で会った人たちも、誰もわたしに教えてくれなかった。
「このまま桜の下を歩いていこう」
ヒロシがうれしそうに微笑う。
「イズミと、俺で」
あんまり嬉しそうに笑うものだから、わたしも笑顔になる。
「ヒロシとふたりで」
満開の桜並木の上に、細い三日月が出ている。
四月の夜の風は、甘い。
すてきな夜だった。
<終わり>
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