第1章

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「……ああもう!」  なにかを振り払うようにカズヒサがすこし大きな声をあげる。  「ど、どうしたんですか?」  タイガがびっくりした目をして、まじまじとカズヒサの目を覗き込む。 「男とか、女とか、関係ないな!好きなら好きで、それだけでいいんだよな!」  カズヒサの中で、重たかったなにかが吹っ切れたらしい。 「…もう運命だから、仕方ないんだ」 「先輩…どうしたんですか?」 「色々悩んでたのが、馬鹿馬鹿しくなってきた!」  晴々とした顔で、言い切るカズヒサの双眸からは、暗い影が抜けてはじめて見るような明るい色に染められていた。 「もう決めた、お前に卒寿のお祝いしてもらう!」  そう言うと、タイガの首に腕を回し、くちびるにちゅっと音をたててくちづける。  嬉しいような、戸惑うような顔をして、タイガがくちづけに応えた。 「いいですよ、勿論。卒寿のお祝いしますから」 「うん、頼むな」  抑えていた気持ちが溢れるように、にこにこと笑うカズヒサはさっきまでとは別人のようだった。  女のように扱われても、カズヒサが男だと言う事実は変わらない。それをタイガは分かっていてカズヒサを抱くのだ。なんの負い目を感じることもなく、恐れを抱くこともない。ただ好きという気持ちがあるだけだ。タイガは自分を運命だといった。カズヒサもまた、タイガが運命なのだ。代わりとして用いるもののない、大切な唯一の存在。男同士だからと言って、遠慮もなにもいらない。ただ気持ちのままに愛し合えばよかったのだと、やっとカズヒサの心が晴れた。…覚悟が、出来た。 「俺やっぱり、お前が好きだよ」  確認するようにそう言うと、カズヒサはちいさく笑う。 「他に代わりなんてない、お前じゃなきゃ駄目だ」 「先輩…俺も、先輩じゃなきゃ嫌です、駄目です、好きになれません」  ぎゅうっと抱きしめる手に、愛しげに力が込められる。1ミリの隙間もないように、がっちり抱きあうと頭がくらくらするような幸福感に包まれる。 「俺の葬式は、お前に任せた」 「はい、わかりました」  縁起でもない事を言いながら、ふたりはくすくすと秘密を共有しあったように笑う。なによりも幸せだった。秩父の山奥で一生を誓いあえたことが、嬉しくてたまらなくて、とにかく幸せで。分かり合えないかもしれないと怯えた日々は、もう過去になった。 「今なら分かる。お前の怯えも、悲しさも。みんな、俺が悪かったんだな」 「先輩が苦しんだ分、俺は支えますから。先輩が悪いんじゃないんです。ただ、気持ちが届いてなかっただけで。俺の怯えやなんかは、もう、いいんです」  笑いながらじゃれあうことが、なにより幸せだと思い知った。  川がざあざあと流れて、ふたりの笑い声をかき消す。今、なによりも自分たちは幸せだと思った。そう信じて疑わなかった。
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