第二章 罰

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最初は気のせいかと思った。朝も早い。今までこんな時間に人が来たことなどなかった。この甘美な時間が唐突に終わりを告げることは認め難いことである。 しかし、一歩一歩、草を、桜を、踏みにじりながら、ゆっくりだが、着実に、近づいてくるものがあった。 とっさに茂みへと身を隠す。ほぼ同時に、甲高い悲鳴が上がる。若い女。背中を中心に冷や汗が走る。 悲鳴に聞こえたそれは、滝のように迫る桜に向けられた歓声であった。片田舎に不釣り合いなほど艶美な桜である。無理もない。 ふと現場に目を遣る。この地に初めて足をつけて間もない「それ」は厳然としてそこに在る。足音は近づく。 若いアベックである。朝から散歩とは感心なものだ。もう桜の全貌が見渡せるところまで来ていた。南無三、観念して目を閉じるしかなかった。 しかし恋とは盲目であった。若人は上のみを見上げていた。若さ故の上昇志向。パステルカラァの青空と桜の対比が初々しい恋の始まりを感じさせる。若い男女は手を取り合い、お互いの目と桜に交互に見つめながら、進むごと眼前に少しずつ広がる白桃の世界に酔っていた。木の下まで辿り着き、どちらともなく向き合う。心臓の鼓動がこちらまで伝わってくるようだ。もはや二人の間に言葉はいらない。何千、何万と繰り返されたかのように完成された動きで、一方で地球の誰もまだ試みたことのないかのようなぎこちなさを内包し、目を閉じ抱き合った二人は唇を重ねる。小鳥がさえずり、風が桜花を舞い踊らせる。丁度朝日が二人だけの竜宮城を切り取るように差し込む。どれだけの時間が経っただろう。いつしか二人は元のように向き合っていた。無限とも思える時間を頬を紅潮させて過ごしたのち、二人は再び一つになる。女性の口元はわずかだが確かな幸福の笑みを湛えている。この期に及んで男というものは雰囲気というものに浸るのがあまり得意ではないようだ。ロマンティックよりエロティック、男は女の背中に手を回し、香りを確かめるように大きく息を吸った。次第に呼吸が荒くなる。女は夢心地である。男は、 男は、一瞬停止し、女に伝わらぬ程度に顔を上げた。目は漸開され、集まった眉間は丘陵となる。
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