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「――おっと」
満開に咲いた昔話が退屈だったのか、アイドリング中の雄二の相棒が、不機嫌そうにエンジンの回転数を上げ重低音を響かせ始める。
その時。砂利音を奏でながら、公園内に小学5,6年生くらいの内気そうな男の子が、しきりに周囲を見回しながら入ってきた。
「おい坊主」
突然呼びかけられたのに驚いたのか、それとも雄二が怖かったのか、びくりと肩を震わせる。
「どうした? 迷子か?」
「……ううん」
「じゃあ、広場で遊ぶつもりか? もうここは公園じゃなくて私有地――って、言っても分からねぇか? えっとな、もう人の家が建つ予定の場所だから、お仕事している大人以外――お前みたいな小せぇのは、入ってるの見つかると、怖い大人に怒られっちまうぞ」
目線を合わせるように屈みながら、なるべく分かりやすそうな言葉を選んで諭す雄二。
しかし少年は気後れしてる素振りを見せながらも、消え入りそうな声で訪ねる。
「おじさん。あの……公園の桜って――」
「ん? 桜なら、コイツだよ」
「コレだけ?」
「ああ、もうそいつしか居ねぇよ」
言いながら彼は、雄二の脇をぬけ私の近くまで歩み寄ってくる。若く小さな彼の眼前には、古く大きな桜の木がある。
「あのね。今日ぼく、引越しするんだ」
変声期前特有の、高く透き通った声で彼は言う。
「だから、最後にどうしても公園に行きたいって、ここの桜を見たいって、お母さんに言って、何度も何度も言って、お願いして、連れて来て貰ったんだ。
ぼく、ここの桜が好きだったから」
「――そうか」
嬉しそうに口元を綻ばせ、そうだよなぁと2,3回頷いてから、雄二は口を開く。
「坊主」
「あ、えっと、お仕事邪魔して、ごめんなさい」
「それはいい。名前を教えてくれないか?」
「――国枝快人です」
「カイト君か、実はそいつもな、今日引越しするんだよ。俺はその手伝いをするんだ」
私の方へ、そのゴツイ指先を向けながら、雄二は快人君に向き合う。
「引越し?」
「ああ」
雄二の胸元が見える。長年着用して色が抜けた緑のツナギのその胸元には”有原植木店”という刺繍が入っている。
私は知っていた。私が子どもの頃から、何度も目にしていたから。
「帰る前によ、一言だけでもいい。
さよならって言ってやってくれないか。そのソメイヨシノにさ」
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