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――私は今日、50年根付いてきたこの街を離れる。
朽ちかけの身を雄二の相棒に預け、最初で最後の人々の営みを、振動と共にこの身に焼き付けながら。
木材や木片となって、木屑や灰となって土へと還るだろう。
「今日まででここの桜、全部、切らなきゃいけなかったんだよ。こいつだけは、俺が直接処置したいって、ワガママいったんだけどな」
雄二は言う。
植樹体験の時に私を植えてくれたような、少年の顔つきで。
「桜を残すことは、出来なかったの?」
「無理だなぁ。ソメイヨシノは樹の中でも環境の変化や病気に弱いんだ。ここに残してマンションを建てるのも、他に移動させるっていうのも、どっちもただ木を弱らせて枯らせるだけなんだよ」
雄二の言葉は正しい。
若く生命力にあふれた苗たちならともかく、老いたこの身ではここから先、この街で待っている負荷には到底耐えられないだろう。
自分が一番分かっていた。
「枯れるだけならまだいいかもしれない。
あんなに綺麗な桜によ、カビとか虫が湧く姿はさ、見たくないだろ?」
「――うん」
「おじさんも見たくねぇんだ。だから――」
色々な感情がない混ぜになった二人の視線が、私へと注がれる。
「さよならしなきゃなんねぇんだ」
不思議と、彼らと目が合ったような気がした。
「桜は、また咲くよね?」
「ああ、咲くさ。春になれば」
二人は私の下で言葉を交わす。
快人君は苗木の葉ずれを思わせる声で、
雄二は大木の洞のような口を開いて、
私に別れを告げる。
「また、咲いてね」
「じゃあな」
――私は今日この街を離れる。
この子達の記憶に、今はあるはずのない50年分の花びらを落としながら。
私は今日でこの街から消えてなくなる。
私が居ない春にも桜は咲くのだろう。
種は芽吹き、苗は育ち。花は誇らしく、変わらずに咲き続けるだろう。
――私はいずれ、この街の記憶から消えて無くなる。
それでも人々は、きっと変わらずに喜び慈しむだろう。
私ではない私達を、
風と共に舞う花雪を、
ゆれ動く枝葉を。
あのさよならの季節と共に、
いつまでもいつまでも慈しむのだろう。
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