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ひとしきり話したあと、すずなとすずしろがぐずり始めたので愛菜達は帰っていった。
ふたり、いや、新たに生まれた一組の夫婦をハルとマスターは見送る。
マスターがテーブルの上を片づけて洗い物を済ませると、ハルが話しかける。
「ねえ、自分の人生ってどう思ってる」
「なんです藪から棒に」
少し間をおいてからマスターはこたえる。
「いろいろありましたが、まあ悪くはなかったなと思ってます」
「わたしも。慣れない海外生活でホームシックになって泣きはらしたこともあったけど、夫はやさしかったし、子宝にもめぐまれて、悪くない人生だったわ」
マスターは閉店の札を外に出すと、ハルの前に座る。
「あの時、駆け落ちしてたらどうなってたのかしら」
「どうでしょうね。それを口にすると今までの人生を否定することになりませんか」
マスターにそう言われてハルは少し考えたが、首を振る。
ハルが嫁いだ日、従業員がひとり辞めた。その人はのちに毛織会社を設立して、数十年後にはハルの実家の会社を買収して吸収合併した。
「今でも、ふられた腹いせに会社を乗っ取った、なんて言われているけど、そうじゃないことをわたしは知っているわ。父の会社を助けてくれたんでしょ」
高度成長期が終わり、バブル景気まで続いた好景気はおわり、その後の長い不景気は今日迄続いている。
好景気しか知らなかったハルの父は、不景気の対応に後手後手にまわり、どうにもならない状態となっていた。
助けを求められたハルの嫁ぎ先も、自社の事で精一杯だったので援助を断るしかなく、風前の灯火となっていた。
それを助けたのが元従業員の会社で、事業のすべてを買い取り、早期退職者を募り事業の縮小と効率化で乗り切ったのだ。
「さあどうでしょう。うわさどおり腹いせだったかも知れませんよ」
「そんな事する人じゃないのは、わたしはよく知っているわよ」
ハルの得意顔にマスターは苦笑すると、話題をかえる。
「いつ頃にイギリスに慣れはじめたんです」
「長男が生まれて、その子が他の子と遊び始めた頃かしら。ハーフってことでちょっと虐められてたの。それを知ってから、わたしがしっかりしなくっちゃって思って、強くなる決心をしたわ」
「愛菜さんもそうでしたが、母になると強くなるんですね」
「当然でしょ、それが女ってものよ。男はどうすると強くなるなるのかしら」
「挫折からの立ち直り……、いや、家庭を背負ってからでしょうか」
「女は母となって家庭を守り、男は父となって家庭を守るか。お互い考えが古いわね」
「でも悪くはないですよ」
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