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そのままイギリスに骨を埋めるつもりでいたハルだったが、ふたつの出来事が帰国する理由となった。
ひとつ目は、夫が亡くなったこと。
子ども達も独り立ちして、次男が会社を継いだあとだったので、経済的にも家庭的にも問題はなかった。
もう一つが、生家が無くなると連絡があったからだ。
買収した元従業員の会社も世代交代をしていて、すでに亡くなっていたハルの両親の家と工場を撤去して住宅地にするという。
無くなる前にひと目見ようと思い立ち、数十年ぶりに帰国したのだった。
「おかしなものね。両親の死に目にも帰って来なかったのに、生家が無くなるという理由でくるなんて」
それ以来、ちょくちょく日本に来る生活をおくっていて、あんてぃくに通っているのだった。
「今回はいつまでいるんてすか」
「もう戻らないわ」
ハルの意外な言葉にマスターは驚く。
「ひ孫まで出来て、もうわたしの居場所はないもの。誤解しないでね、家族関係は良好よ、ただ世代交代してわたしの役割が終わっただけ」
「それが戻らない理由なんですか」
ううんとハルは首を振ったあと、悪戯っぽく微笑む。
「じつはね、癌がみつかったの。それも末期の」
「それは大変ですね」
つとめて冷静にマスターは返すが、ハルはそのまま返事をしない。長い沈黙のあと、マスターはその言葉が真実なんだと理解してしまった。
「……なにかできることは」
「もう、してもらっているわ。わたしの部屋があった所にこのお店を建ててくれて、あの頃と同じ景色を残してくれたじゃない」
「事業を息子達に譲ったあと、道楽で喫茶店をはじめただけです。そんなことは気にしなくていい。何かできないかな」
何も出来なかったあの頃ではない。今の自分ならという気持ちが、マスターの心を掻き立てる。ハルは愛菜達の帰る姿を思い出して、ひとつだけ願いでる。
「若い頃叶わなかった夢を叶えてくれる」
「なんだい」
「七夕まつりを、一緒に手を繋いで歩きたいの」
皆につき合っているのをバレないように、外出しなかったからデートをしたことなかったからだと言う。
「でも……」
七夕まつりはまだ3か月先だ。ハルの寿命がもつのかとマスターは心配する。
「目的があると人って長生きするらしいわよ」
「……わかった、必ずしよう。約束だ」
3か月後の七夕まつり、変わらぬ賑やかなアーケードの下、仲睦まじい年老いた男女が手を繋いで歩いている。
服装は似てはいるが別々のものだったが、その足取りはまるで二人三脚で人生を歩いてきたかのように揃っていた。
ーー 了 ーー
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