第一話  蘇州夜曲

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 「舌なんか噛ませないぞ」  舌を咬もうとした芳子の顔を掴むと、引き千切ったブラウスの布切れを口の中に押し込んだ。  涙で濡れてくぐもった悲鳴を上げ続ける芳子を、男は更に何度も殴った。  意識が薄れていく。  「芳子おぉぉぉ~・・」  父の哀しい叫びが、薄れていく意識の中で聞こえた。  「あぁぁ、お父様・・」  やがて芳子の意識は、暗い闇の中に沈んで行った。  優しい手が、芳子を抱き起した。  誰かの胸に抱きしめられて、名前を呼ばれている。  「大丈夫だ、奴らは始末したよ」  髪をなでながら、大きな温かい手が顔を包んだ。切れた唇にそっと触れる指の感触。  厳恒輝は、殴られた衝撃で意識がハッキリとしない芳子を、包む様に腕に抱きあげて襲撃現場から運び出した。  間一髪だった。  大事な女だから、見張りを付けて置いたのが幸いした。  用心棒に雇ったのは、手荒な作業も平気でこなす危ない連中だが、金次第で何でもしてくれる。  飛び込んで助けてくれた謝礼は高いが、芳子の無事に代えられるものなど無い。  「良かった」  厳恒輝は腕の中でまた気を失った芳子を抱き締めると、蘇州の別荘に行くように運転手に命じた。  知らせを受けて駆け付ける間も、車の中で歯ぎしりするほどの焦燥に駆られた。  「無理矢理にでも、妻にするのだった」  五條子爵の屋敷に飛び込んでいって、ソファーの上の芳子を見た時には、目の前が真っ赤に染まった。  「旦那様、お嬢様はご無事ですよ。襲った方は無事じゃ無いですがねぇ」  床に転がる日本軍の軍人の死体を足で蹴ると、雇った男の一人が冷たく笑った。  五條子爵が蒼ざめた顔で、礼を言う。  「ここまで軍の腐敗が進んでいるとは、私の予想が甘かった。如何にかして、娘を此処から出してやらねばならん」  苦しそうに呟く声が、もう策がないことを物語っている。  「一緒に来てください。お話ししたいことが在る」  蘇州の別荘に着くと、女中に芳子を預けて五條子爵を書斎に連れて行った。
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