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第二章 悠久の時
1・
満月の夜。
白い月光に照らされた、龍神の泉のほとりに設えられた祭壇の前。
敷かれた薄縁の上で、父と兄の祝詞を奏上する声に包まれて、竜神の巫女姫は巫女装束を脱ぎ捨た。
白浄衣のみを身につけた姿で、泉に足を踏み入れる。
そのまま更に泉に入って、静かに冷たい霊水に身を浸した。
月の光が水面の上で、銀と金にきらきら揺れる。
ザァーッと、風に木の葉がざわめく音。
祭壇の横に焚かれた香炉から、絶え間なく強い白檀の香りが立ち昇る。
その匂い立つような香気に誘われて、凛子の身体の中で眠っていた黒龍が目覚めた。
身体中が粟立つ様な、身の内から出ようとする黒龍に引き裂かれそうになる感覚。
其れを押しとどめて、凛子を包んで護るのは背中に輝く龍だ。
水の中で白浄衣を脱いだ。
月光を受けて白く輝く、水面に漂う衣。
其の衣にも負けない凛子の裸身が月光に浮かび上がる。
「隅に用意した床机から動かず、座って見ておられるだけならば、臨席なさるのも宜しかろう」、沙織お祖母ちゃんの口添えをもらい、凛子の父に同席を許された恒星は、その神事を息をつめて見守っていた。
そして少し離れた場所にも、鎮守の森の価値を見せる為に、凛子が竜崎翔を招いて座らせていた。
「美しい」、その神秘に見惚れた翔の口から、思わず声が漏れた。
その時、赤々と焚かれた篝火が更に燃え上り、グッワアッと烈しく火の粉を噴いた。
泉の水が激しく波立つ。
水が渦まくその中心に立ち、天空の月に向かって両手を差し伸べる凛子。
その手と腕から滴る泉の水が、キラキラと鋭利なガラスの輝きを放った。
「もう直ぐです」
凛子の父が、恒星に低い声を掛けた。
凛子の身体が月光に包まれて、不思議な蒼い輝きを放ち始める。
目を瞑って、何かに耐えるような凛子の身体。その時、父と兄が息をのむ気配がした。
背中の龍がひときわ蒼く光ると、ずるッと動いたように見える。宝玉をその爪に掴み、天に駆け上がろうとする項羽の龍。
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