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さようなら、を言う前に
「キミ、起きなよ」
そんな声に誘われてゆっくりと瞼を開くと、最近暇さえあればずっと頭に思い浮かべていた人の顔が目の前にあった。
「気持ちよさそうに眠っていたのに、悪かったね」
僕が何も言葉を発することができなかったのを、どう解釈したのか、灯里先輩は苦笑しながらそんな見当外れなことを言った。
「でもね、キミとボクがこの部室で過ごす最後の時間を、言葉も交わさずに終えてしまうのはあまりにも寂しくはないかい?」
ああ、なるほど。僕は部室の窓から見える西日を見て、得心する。きっと、お別れ会の最中に眠ってしまったのだ。
「先輩の絵、全部外してしまったんですね」
部室の中を見回して、すぐに覚えた違和感の正体を察して、そんな言葉を口にしてしまう。後半、声が掠れてしまったのは、寝起きだからだ。そうに違いない。
「ああ。先生は残してもいいと言ってくれたんだけど、部室に飾っておくのは在校生の絵であるべきだと、ボクは思う」
言っていることは分かるが、なんだか突き放されたような感じもして、急に寂しくなってしまった。
「でも、僕はあの絵を目標にして――」
「だから、今度はキミが皆の目標にならなきゃ」
まったくその通りだ。寂しさについ甘えてしまった自分が恥ずかしくて、苦笑いを浮かべる。多分、顔は真っ赤になっている。
そんな僕を、灯里先輩は優しく微笑みながら、じっと見つめていた。
「先輩、大分表情が柔らかくなりましたよね。初めて会った時とは大違いだ」
なんだか照れくさくて、そんな軽口を叩いてしまう。
「そうかい? でも、それを言うならキミだって。あの時は、自分はなんでもうまくこなしてみせますよ、って勘違いと傲慢さばかりの、クソ生意気な後輩だったよ」
ぐっと言葉に詰まってしまう。事実だからだ。
「だったら先輩は、自分が絵を描くのに他人は邪魔だ、みたいなコミュ障だったじゃないですか」
「ふふ、否定できないな。まぁ、お互い成長したということさ」
そう言いながら、灯里先輩は立ち上がって部屋の隅にあった丸椅子を持つと、僕の背後にそれを置いた。
意図が読めずに戸惑っていると、先輩はそのまま後ろ向きに座って僕に背を預けてきた。
彼女の熱が背中から感じられて、カッと全身が熱くなる。
際限なく高まっていく鼓動を必死で抑えようとして、しばらく沈黙が下りた。
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