1章 炎の記憶

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1章 炎の記憶

 レイスは狂った機械のように、何度も同じことを繰り返した。自分の喉を掻っ捌いて、全身の血を身体から抜き出して倒れる。  あいつの身体はそんなことをした程度じゃ、死なない。死ぬことには死ぬが、肉体の死は生命の死、とはならない。外にあふれだした血は炎となって燃え尽き、細かい粒子状になって、風にさらわれて肉体へと還っていく。  レイスが再び目を開ければ、ついさっき死んだはずの身体も傷も元通りになっていて、またあいつは狂ったように己の身体を切り刻み、倒れる。  この数日、ずっとレイスが繰り返していることだった。  また背後で倒れる音がした。それから、周囲で風が巻き起こる音。だが、風がおさまった後、さっきまで聞こえていた絶叫は繰り返されなかった。  枯れ果てた喉を通る呼吸がせわしなく繰り返され、一瞬だけ止まり、むせかえってすすり泣く音に変わる。  掌が地面の砂を握る。手を突っ張って起きあがろうとするものの、うまく身体が動かせないのか、再び地面に倒れ伏す音が聞こえた。 「いい加減、無駄だって気付いたか」  たき火が目の前で爆ぜる。背後からレイスの応えは、ない。  ヴァルディースは無造作に火の中の薪を掻きやった。  ヴァルディースは今日だけで既に10回は死んだレイスを、その身体の大半を構成する炎の魔力を閉ざすことで、無理矢理無力化させた。  本来なら、こんな人間崩れに目をかけるのはヴァルディースの性分ではない。ヴァルディースは悠久の時を生きてきた炎の精霊である。精霊という存在自体が、そもそも人間と関わるものではないからだ。  背後でレイスは未だ、最期の悪あがきでもしようというのか、地面に転がった刀に、届きもしない手を伸ばそうとする。力尽き、身動きもできないありさまだというのに。  ヴァルディースは立ち上がった。 「そんなことばかりする気力があるんなら、いい加減他の事に向けろ。馬鹿野郎」  レイスの手の先に転がった刀を蹴り飛ばす。  つかみ損ね、遠ざかった希望にうなだれた姿は、人間そのものだ。  緑色の双眸が、恨みがましくヴァルディースをにらみ上げてくる。しかしそこに生気がまるでないわけではなく、むしろただ生きるだけの人間共などよりはよほど強い意思を持っていた。  意思の強さは、普通なら生きることに向けられる。レイスの場合はそれがむしろ逆になる。死ぬことだけに執着するのは、まともな人間ではない。まして生や死に全く関わりが無い精霊などとは根本的に違う。 「……っ、んで」  久々に発された言葉に、ヴァルディースは足元を見下ろした。か細い、喘ぎのようなつぶやきだった。それでも絶叫や悲鳴などよりは、よほどマシと言える"言葉"だ。  震える拳がヴァルディースに向けられた。力無く拳は空を切った。動きもしない身体でそんなことをしたところで、ヴァルディースに届くわけもない。今この状況で、何をやっても無駄なことだと言うことぐらい、本人が一番よく分かっているはずだ。  ヴァルディースはため息をついた。 「なん、で、殺さないっ」 「なんで俺がお前を殺さなきゃならない」  もう何度も繰り返された押し問答だ。死にたいと、殺せと言うこいつに、常にヴァルディースはこう言ってきた。なぜ、俺がおまえを殺すなんて言う面倒なことをしなければいけないのだ、と。 「オレは、生きていたくなんてないっ」  言ってもレイスは納得しない。何度も殺せと、死にたいと泣き叫ぶ。  ヴァルディースの脳裏に唐突に、一人の女の姿が全ての思考を引き裂くように割り込んだ。
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