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私は、男を愛してなんかいない。
不安定でつかみどころのない、あまりにも頼りない少年少女になり(演じているのではない。自然にそうなってしまう。そんな少年少女になっているとき、それが倫理的に正しいかどうかなど考えもしない)、やたらと不安がっては、男の庇護欲を誘い、首尾よく自分にひきつける。誰もいない場所で、強く手を握り、数日後、泣きそうな顔で男を抱き締めれば、よっぽどのことがなければ、その純情は手に入る。
こんな関係になったのは、春日さんで三人目だ。一年間で三人の男。
毎回毎回同じ手順。一度もセックスがなくとも、いとも簡単に彼らは私を崇め奉った。
処女である必要などない。身体が汚れるほどに、心の純潔は研ぎ澄まされていくと思うのだ。性的なあれこれを知り尽くしてなお、少年少女であることは、可能だ。それは、思春期までに叩き込まれるはずの潔癖という刷り込みをものともしないほど、私の頭がいかれているおかげだったわけだが。(しかし、性交の経験如何で心や身体が穢れるなんてものの見方は興味深い。大学生のとき、同じゼミ生の男性から『中古』と罵られたことを思い出す。処女は新車、経験者は中古車だというのだ。ならば我々は男に乗ってもらわないと動くことも出来ないというわけか。しかし、当たり前だが、女だって車には乗る。そして私という女は情けがあり気分やで愚かで卑怯だ。情けがあり気分やで愚かで卑怯で時には冒険の相棒となり遠くまで連れて出してくれる車がどこかにいるのならば、新車にしろ中古にしろ、私はその車と家族や友達や伴侶となるべきだと思えた)
きっと。セックスしてしまうと駄目なんだろう。
裸を見るというのは、脳の器官を一部作動停止して、獣になるということだ。私が男に求めているのは脳のない獣になっていては成立しない類の人間関係なのだ。
「顔が見たくなった、ごめん、急に」
黄金の蜜。宵闇に月が照らす艶。彼が、全身に浴びたくなるような声を造る。
その輝きは、私にとって、朝日の放つあからさま黄金よりも、ずっとずっと値打ちある光に思えた。
魅力あるものは、いつもおぼろげではかなく、姑息で破滅的で甘いのだ。
そして、群がる羽音は、蜜が全て狩り盗られるまで鳴り止まないのだ。
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