それは私じゃない

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「ミコちゃん」  日焼けして少しくたびれた向日葵と、目覚めたばかりの水滴を滴らせる朝顔が、奇跡的な再会を果たしたかのような笑顔で、ユイさんが私の名を呼んだ。呼ばれた方は、枯れた井戸みたいな空っぽの気持ちでその声を聞いていた。  ユイさんが結婚する。さっき、彼女自身から、そう聞いた。  したたかに、したたかに打ちのめされた。  いつかは、そんな日がくるだろうと分かっていた。けれど、そんなこと、どうってことないと思っていた。結婚してしまっても、ユイさんはユイさんだし、私は私のはずだ。結婚相手の誰それには分からない、私たちだけの、二人だけの共通項があるのだから大丈夫だと思っていた。ユイさんは、でも、最初から、私とそういう、特別な共通項を持とうなんて気持ちはないのだろうと、このとき思い知った。  いや、ユイさんがどうのこうのではない。私だけが、ないはずの共通項が真実「全くない」ということに勝手にぶちのめされただけの話だった。  もし、私が今この場で、ユイさんに好きだと言ったらどうなるだろうか。(私は、この世界に百%以上の確立でありえないことがある、という最初から矛盾した真実に気がつく)  だが、仮にそうしたら、せめて、ユイさんは、幸せ話をいったんやめて、私の言葉に耳を傾けるだろうか?何のために?ユイさんの幸せに一ミリもそぐわない告白を、彼女に聞かせる権利が私にあるだろうか。決まっている。私がユイさんでもそんなのはお断りだ。  高校時代によく通った喫茶店の壁には、しなびたカキ氷の張り紙があった。私は宇治抹茶が好きだった。ユイさんはいつもイチゴだ。学年が一つ違い性格も全然違うけれど、部活の先輩後輩という間柄の私たちは妙に気があって、放課後はよく一緒にここに来た。夏は馬鹿の一つ覚えのカキ氷を食べた。今日、ユイさんが、宇治抹茶を注文したから、私はあえてイチゴにしてみたのだった。悔しさで切腹したくなるけれど、そんな小さなことが少しおかしくてすごく嬉しかったのだ。  こんなに、衝撃を受けて、こんなに絶望するとは、全く思っていなかった。 「智樹君がね・・・・・・あ、えっと桜井さんが」  ユイさんは、たびたび結婚相手だという男性の下の名前を言っては苗字に言い直した。別にどうでもいいのに。その行為には何の罪もなく別にのろけているわけでもない。でも、異常なほど腹立たしかった。  
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