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「展示室Aと展示室B、壁一枚で隔てられてるんだ。二人は永遠に会えない」
寒々とした小雨降る昼下がり、私の隣で彼は言った。
象舎内のベンチでぴったりと寄り添う我々は、いたはずの象の空白を眺めていた。
この場所の女主人だったレディ・ヴァージニアは昨年の夏、老衰で天国に召され、以来象舎は空っぽだ。いなくなって一年以上たち清掃もされているというのに、干し草と飼料と排泄物と巨大な生き物が発する気配がまだ残っている。
気の滅入るようなこんな日に、何もない象舎を訪れる者はいない。それは人目を忍ぶ我々にとって好都合だった。
私は誰が見てもさえない中年男で、家のローンの支払いにあくせくしている毎日だ。妻や子どもの顔色をうかがい、やぼったく、生徒たちのみならず同僚からも小ばかにされる存在だ。それでも今日はせめて少しでも彼によく見られたいと、シャツを買った。量販店の安物だが、新しいものは私の気持ちを奮い立たせ、彼をデートに誘うことができた。
彼も私同様、あかぬけたところのない若者だった。洒落た格好をするなど、生活の中、どこを切っても存在しない。せいぜい清潔を心掛けるくらいしか手立てはない。
しかし今日着ているこざっぱりとした紺のセーターは、彼にとても似合っていた。着古したものだろうと関係ない。私はそんなもので心が躍る。彼もきっとそうだ。
どこからみてもさえない公立高の教師と、生活におしつぶされそうな青年。それでも二人、象舎の前で現実を忘れることができた。
彼は厳かに続ける。
「その前に話さないといけないね。第一王子と第二王子は愛し合っていたんだ。もちろん許されない秘密の恋だ」
熱帯の資源豊かな国の、閉ざされた王宮。褐色の肌の精悍な若者と、勝気な性格の見目麗しい少年。兄は父王の若き日のおとしだねで、王位継承権はなく、弟は今は亡き先代の王妃の面影も濃い、王国の正統な後継者だ。
初めて出会ったのは、回廊に囲まれた中庭だった。
少年はおつきのものから逃げだし、水盤の陰に隠れ一人泣いていた。癇癪もちの王子は、その日些細な事で腹をたて、それをきっかけに、亡き母への恋しさが募り、涙をとめられずにいた。
寝着のまま、裸足で泣いている王子に、偶然通りかかった兄は涙のわけを尋ねた。王子は兄と知らず、兄は王子と知らず、二人は一目で、恋に落ちた。
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