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 バタフライケージはこの動物園の目玉の施設だ。大きなドームの中で、何種類もの蝶が飼育されている。季節は永遠に春。中には人口の小さな滝と小川が流れ、とりどりの花が咲き乱れる楽園だとパンフレットには書かれている。  昆虫、特に蝶が苦手な私は、このバタフライケージに入るのにためらいがあった。  柔らかそうな羽を見ていると、なぜかそれが口に入ってくるのではと、恐ろしくなるし、鱗粉や触覚や、目、腹、細い脚、口などすべてが気味悪い。  しかし、彼に私の怯えを打ち明ける勇気はなく、仕方なしにゲートをくぐった。  入口は、斜面の上に作られ、出口に向かって坂をくだるように蛇行した小道があった。入ってすぐ、すべてを見下ろす展望スペースが設けられており、彼が柵から身を乗り出すようにして歓声を上げた。 「すごい……すごいね……」  その目の前に広がる風景に、私は苦手意識を忘れ、ただうなずく。  花がさきほこる空間に、数えきれない何頭もの蝶が、規則的な、または不規則的な動きで浮遊していた。  花の蜜を吸っているもの、小川のほとりや水盤にとまり水を飲んでいるもの。可憐な羽を優しく震えさせている。まるで丹念に彩色された美しい紙細工、あるいは刺しゅうを施された繊細な布の切れ端、それらが永遠に終わらない春の空間で生を謳歌していた。  あまりの数の多さと絢爛さに、私には一つ一つが生き物に見えない。現実のものとは思えない。  私は言葉をなくし、これまで感じていた嫌悪感が嘘のようになくなり、夢中になって中を散策した。こんな日でもこの場所には親子連れやカップルが来ていたが、みなどこか不思議な顔つきになっていた。呆然と天井を見て立ちつくす者もいる。  小川のほうに行ってみようと、私は彼の方を振り返る。  声をかけようと口を開きかけるが、何も言えずただみとれる。  水盤のそばにたたずむ彼の横顔、上気した頬、目の輝き。生活の疲れや人生へのあきらめが作る澱のようなものが、何一つなかった。彼は本来とても美しい子だと私は改めて気づかされる。  私を振り返り、見上げる顔に心を揺さぶられる。
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