桜の下で

　顔を見たことはなかった。いつだって、見上げることはできなくて。
　触れたことはなかった。まるで真後ろから話しかけられているような声の錯覚を起こしたことはあっても。

　理由は……泣きたくなるくらい辛いのに、どこかが温かい心が、教えてくれた。

　予感は、気づけば心の中にあった。
　桜が散ったら、もう会えない、と。
　そうして、その通りになった。

　深呼吸を、する。

「あ、の……私の、こと」
「君の事は知っているよ」
「――」

　体が、固くなった。ずっとなっている心臓の音が、いつか止まってしまいそうな気がした。
　でも、進まなければ。

「じゃあ……私の名前も？」

　ざっと吹いた風に、さらわれそうな質問だった。どうして届いたのかが、不思議なくらいだったし、答えもまた、同じくらい囁きに近かった。

「君の、名前は……おうり」
「――」

　一瞬で、目の前は真っ白になった。